● また面白い書き手に出会えた。石田ゆうすけという。7年間かけて自転車で世界を一周し,それを『行かずに死ねるか!』という本にまとめた。これがメチャクチャ面白い。
立派な冒険譚だ。南米で強盗に銃口を向けられて,身ぐるみ剥がされるという目にも遭っている。日本人の自転車乗りや現地人との交流がじつに活き活きと描かれている。活き活きと描かれているがために,登場人物がじつに魅力的だ。書きすぎていないのもいい。
● そこここでの寄り道がまたこの本の彩りを豊かにしている。著者はこの世界一周に7年半を費やしているのだが,この時間があればこそ,この内容になるのだと思う。効率よく短期間で回ろうなどとやってしまっては,この味は失われる。
英語やスペイン語が達者なわけでもあるまいと思うのだが,実地に憶えていくタイプのようで,つまりはそれが可能になるだけの交流をしているわけだ。もの怖じしないその姿勢が清々しいし,羨ましい。外に開かれている。外を拒否して自分を守ることをしない。
● 旅の先々で色鉛筆でスケッチをする。川で魚を釣りあげて自分で料理する。料理も上手らしいのだが,その味を表現する文章がまたいい。
音楽に言及したり,詩を書いたりもする。野にいる文化人的な色合いもあって,それもこの本の魅力を増している。人を思う心,それを素直に行動に移すさりげなさ。抑えて書いている文章がここでも見事だ。
● 7年半もかけたのだから,この世界一周の自転車旅のために多くのものを犠牲にしている。彼は犠牲にしたとは思っていないだろうが,職業も捨てているし,結婚するチャンスも捨てている。今はどうして生活しているのか知らないけれど,経済的に豊かさや安定も捨てているのだと思う。本なんか売れたって収入はしれている。
しかし,この1冊を残しただけでも,悔いる必要のない人生を送ったことになるだろう。
● この本を読んだあとに,『道の先まで行ってやれ!』を読んだ。世界一周から帰国して3年後に,今度は国内のあちこちに短期間の輪行を重ね,それを文章にしたものだ。
舞台が勝手知ったる国内になるのだから,『行かずに死ねるか!』ほどには面白いはずがないと思って読み始めたのだが,嬉しいことにその予想は裏切られた。面白いのだ。石田さんは読者を唸らせるツボを心得ているのだろうか。
● 再び,どうしてこれが面白いのだろうかと考えた。おそらく,彼が感激屋だからではあるまいか。彼の感激ぶりが心地いいのだ。
ひねくれていない。素直に世界と向き合っている感じ。斜に構えたところがない。義理人情を大切にしている。応援したくなるのだ。
● もうひとつ,彼は文学好きでもあるらしい。内田百閒がポコッと登場したりする。それが文章に奥行きを与える。
自転車というマイナーな移動装置への入れこみが第一だが,そのほかに料理や音楽,スケッチ,文学と,人生を楽しむ術をたくさん持っていて,それがさりげなく伺わせる。
● この文章の味わいは,しかし,持って生まれたものだろうなとも思わせる。時間と引換えにして読むことを納得させる文章は,努力して書けるものではないような気がする。
それを窺わせるのが,食べものに関する描写だ。山形の蕎麦や喜多方のラーメンなど,各地でいろんなものを食べて,その様子を書いているんだけれども,それがとても巧いのだ。構えず,自分の感覚に素直に。自分も食べに行きたいと思わせるのだ。
● 自転車での世界一周は無理としても,日本一周ならできそうな気がしてきた。70歳を過ぎたらやってみようか,と。そのためにも,2百キロ走行はできるようになっておきたいぞ。
● この2冊以外にも彼の著書がある。文庫になっているのもあるようだ。すべて読むことになるだろう。ブログも書いているので,しばらくは彼の文章を楽しめそうだ。
疋田智さんに次いで,二人目の自転車乗りの文章家だ。石田さんは自転車についてというよりは,旅について語っているので,ふたりの色合いはだいぶ違うが,こういう出逢いは嬉しいものだ。