2015年6月18日木曜日

2015.06.18 野望というか妄想 2

● 鉄道と自転車でそれぞれ世界一周。どちらかしか選べないとなったら,自転車でしょうね,やっぱり。
 シベリア鉄道を使わないで鉄道でユーラシア大陸を横断することはできないようだ。けど,できればシベリア鉄道って乗らないですませたい。
 とかね,考えてしまうんで。鉄道は世界一周に結びつけないで,シルクロード特急に乗るとか,オーストラリア横断鉄道に乗るとか,路線単体で考えればいいかもな。

● で,自転車だよ,と。石田ゆうすけさんは成田からアラスカに飛んで,アメリカ大陸縦断から始めた。
 自転車ではないけれど,吉田友和・絵里夫妻が新婚旅行の世界一周をしたときはアジアから始めている。

● ぼくもたぶんアジアからなりますね。自宅から下関まで自走し,関釜フェリーで釜山に行く。釜山から仁川まで韓国を縦断し,仁川から中国大陸に入る。ずっと南下。ラオスからタイを通ってミャンマーへ。
 バングラデシュからインドの北側を西に走り,パキスタン,イランを経て,トルコに。あとは,ブルガリア,ハンガリー,ポーランドを走り,ドイツからスペイン,ポルトガル。
 スカンジナビア半島とイギリスはパス。

● このあとアフリカに行くか行かないか。理由のない恐怖があるね。でも,ここまで走ってきて,経験値が上がっている。当然,アフリカを目指すことになるだろう。まぁ,決して無理はせず。
 と,妄想は続くよ,どこまでも。

● 好奇心。知らないところ,行ったことがないところ,そういうところにぜひとも行きたいという気持ち。食べたことがないものを食べたい,したことがないことをしてみたい。
 そういう好奇心。冒険を支えるものはこの好奇心ということになる。

● 並はずれた好奇心は個体を危険にさらすだろうから,神さまは人間に野放図な好奇心は与えていないと思う。
 しかし,神さまもときどき,ケアレスミスをする。野放図な好奇心を持った人間を作ってしまうことがある。
 そういう人が冒険家になる。冒険家はつまり神さまの失敗作品。

2015年6月15日月曜日

2015.06.15 野望というか妄想

● 自転車で世界一周してみたいよ,って。いったん日本を出たら世界を回り終えるまで帰らないということになると,2年や3年ではすまないことになるかもしれない。
 さすがに,それでは奥さんの許可が下りないと思う。

● なので,エリアを区切って,何度かに分けて行くことになりそうだ。だとしても,ユーラシア大陸は通して走りきりたい。
 というのは,下川裕治さんの『僕はこんな旅しかできない』にこんなことが書かれていたからだ。
 ひとつの街に入ったとき,世界ががらりと変わる感覚に襲われる。言葉や顔つきが入れ替わっていくのは当然だが,そこに流れる空気や文化そのものが足許からそっくりと交換されるような感覚である。 (中略)中央アジアのカザフスタンに入ったとき,ひとつの節目が伝わってくる。家が突然,欧米風になり,東アジアから東南アジアを支配する高い人口密度が消える。(中略) さらに西に進んでいくとカスピ海に出る。フェリーに乗り,着く街がアゼルバイジャンのバクーである。ここにふたつめの節目がある。 (中略)バクーに入ると,宗教の密度がぐんと高まる気になる。(p208)
 そうした空気の変化を自分も途切れなく感じてみたいからだ。

● しかしだね,そのためには体力がまず必要だよね。自転車で世界一周をするとして,実際に出かけられるのはどんなに早くても65歳。ひょっとすると70歳になっているかもしれない。
 その歳で自転車で世界一周っていうのは,話題性があって面白いかもしれないけれども,まぁあまり現実的な話じゃないねぇ。それゆえ,妄想なんだけどね。

● せめて,それに向けて今から体力を鍛えておこうとか,南米を回るときに備えてスペイン語を少しは勉強しておこうとか,そういうことはまったく頭にないから,いよいよ妄想でありますね。
 第一,自転車で遠出はしたことがないしなぁ。泊まりのツーリングってやったことがない。だから,苦労を知らない。だから,こういう妄想にも浸れるわけだね。