もちろん,その社宅は今はない。典型的な過疎地なのだと思う。だけれども,ポツンポツンと家はある。車があればここから黒羽や大田原の会社に通うことはできる。
子どもたちの通学はどうしているのだろうか。市営バスが頼みか。
● サイクルジャージの2人組とすれ違った。ロードバイクのペダルをクルクルと回しながら,あっという間に遠ざかっていった。実業団チーム(宇都宮ブリッツェン?)のレーサーのようだ。
ぼくに言わせれば,彼らは人間ではない。怪物だ。真似しようとしてはいけないし,憧れてもいけない。人間は人間であればいいのであって,怪物になる必要はないからね。
● 上南方に入ると,道路の幅員が狭くなる。というか,山のなかに無理やり通したという感じの道路になる。林道然としてくる。
猟師もいるんだろうな。激しく吠える犬を飼っている家が2軒あった。たぶん,猟犬だと思う。つないであったから問題はなかったけれども,あんな犬に追いかけられたら,この自転車で死ぬ気で逃げても,片足くらいは食いちぎられるだろうな。
南方須佐木線の終点 |
このあたりになると,道路の種別や路線名にとらわれない方がいいようだ。県道とはいっても通行不能区間があったり,普通車がギリギリすれ違えるほどの幅員しかなかったりする。要は,すべて林道と心得たほうが間違いがない。
● いよいよ,八溝山に取りついて正真正銘の林道を登っていく。さほどの勾配ではない。ここをどうやって登るんだよと思うようなきつい勾配はない。
が,あたりまえだけれども,基本的に山頂まで登りが続く。
辛抱たまらず休憩 |
ぼくの自転車は折りたたみ式の安いミニベロ。ギアは後ろが7段。一番の問題は自分の脚力のなさなんだけども,それを棚にあげていうと,もっと軽い歯車があと1枚か2枚あればなと思った。
● というわけで,この後もみっともないほどに,何度も足をついた。のみならず,自転車を押して歩きもした。
雲巌寺を出たあとは,コンビニも自販機もまったくなくて,水分の補給ができないことも,かなり効いている。っていうか,これが一番かもしれない。自転車のギアの問題以前に。
喉が渇いて,そこにしか思いがいかない。登るにつれて視界が開け,一級品の景観が楽しめるんだけど,ダメだ,喉がここまで渇くとそれを楽しむ余裕もなくなる。
って,熱中症は大丈夫なのか,オレ。
また休憩 |
あまり休んでしまうと動けなくなりそうだ。
このまま回れ右して降れれば楽なんだけど,ここまで来て山頂に行かなかったら,とんでもなく後悔するよなぁ。そんなことを思いつつ,自転車に乗ったり降りて押したりを繰り返した。
後半,登りであっても力を入れないで軽く回すコツをつかんだような気もしたんだけど,どうやら錯覚だったか。
八溝山頂の神社 |
神社が鎮座ましましていらっしゃる。やれやれ,神社があるんだから途中に水場もあるんだろう。と思った。ら。そんなものはないのだった。
展望台からの絶景も目には入れたんだけど,喉の渇きから自分の気持ちが離れない。
● 展望台は掃除されたばかりのようで,打ち水もされていた。近くに水道があるのか。やはりないのだった。けっこう堪えたな,これは。目の前に打たれた水があるのに,自分が飲める水がない。
基本,自分のあまりの迂闊さが問題なんだけどね。
展望台からの眺望 |
その八溝公園線。かなりの急勾配。車で来るんだったら,この道のほうが走りやすいだろう。けど,自転車でここを登るのは,ぼく的には論外の話だ。栃木県側から来て良かったぁと思った。
● ここで思わぬトラブルに遭遇。ブレーキだ。利きが甘いとは思っていたんだけど,平地ではあまり問題だとも思っていなかった。
ところが,一定以上の勾配の下りではまったく効かなくなるんでした。八溝公園線の勾配はその“一定”を明らかに超えていた。
ブレーキレバーを目一杯握りしめても加速するんだもんね。これはかなりまずいぞ。後ブレーキ,前ブレーキに続く3つめのブレーキは自分の靴裏。何ということだ。帰宅したら早々にブレーキを修正しなければならんな。
● どうにかこうにかやり過ごして,那須大子線に出た。まぁまぁ普通に走れる道路になった。渇水被害(?)に加えて,このザマだ。かなりストレスがかかった。
この安物自転車を呪いたくなった。なんせ,最初からマトモじゃなかったもんな。だましだまし乗ってきた感がある。そういうことをやっていると,けっこう愛着が湧いてもくるから困ったもんだ。
(追記)
翌11日にブレーキは修正した。シューを交換して,位置を合わせただけなんだけど。でも,だいぶマシにはなった。ブレーキをかけているのに加速するなんてことはなくなったと思う。
本当は自転車を交換したいんだけど,そんな贅沢は許されない。誰か要らなくなったロードバイクをくれる人いないかな。