● FBの大きなお世話の筆頭は「知り合いでは」という友だち紹介。知り合いなんかいたためしがない。
が,ここのところ自転車絡みの投稿を連投してたら,“自転車人”の紹介が増えた。自転車で日本一周中の人,すでにやった人。それらのいくつかを読んでみた。
● でね,どうも大仰だなという印象を持つんだよね。日本一周中というプレートを作って,自転車に括りつけていたり。何か凄いことをやっていると思っているような。
多くは20歳前後の若者たちだから,そのポーズにも可愛げがある。だから許される。が,同じポーズを中高年がとったら,単なるバカ以外ではあり得ない。
● 日本一周なら誰でもできる。どこに行っても日本語が通じるんだし,コンビニや自販機はどんな田舎にもある。キャンプ場や道の駅もそちこちにあって,テント泊するにも困らない。治安はいいし,車のドライバーにも無茶な運転をする人はそうそういないから安全だ。
必要なのは普通に健康であることと,暇とサムマネーだけだ。
● 実際,自転車で日本一周をやった人はかなりの数になるだろう。稀少性はない。稀少価値以外の価値はないのだから,自転車での日本一周に価値などない。
徒歩とかリヤカーを引きながら日本を一周してる人もいるが,事情は同じだ。下手すると,世界一周も同様になりつつある。
● たんに一周するだけなら価値はない。そこにどうやって付加価値を付けるか。
ここでもわりと画一的な方向があるようだ。現地の人たちや同じ自転車人との交流がそれだ。その付加価値の付け方で巧くいっている人もいるし,そうじゃない人もいる。
自分ならどんな方法で付加価値を付けようとするだろうか。ここでバタッと思考が停まってしまうんだな。
● しかし。価値があることがナンボのものか。それを言うなら,この人生を生き抜くことにどれほどの価値があるのか。
大仰だなと思いながらも,自転車日本一周の様子をFBに投稿している若者たちに好意を持つのは,彼らがやりたいことをやっているからだ。やってみようと思うことがあって,実際にそれを行動に移している。それで充分だ。
その行動に価値があるかどうか。そんなことは他人が決めればいい。俺の知ったことか。その姿勢でいつかやりたいね,自転車での日本一周。“単なるバカ”でかまわないから。
● さて,と。ここまで書いてきて,それを撤回するようで恐縮なんだけれども,自転車で日本を一周するというのは,それだけですごいことなのかもしれない。
毎日飽きることなく100km程度を走り,雨や風と戦い,テントを張れるところを探し,布団ではなく寝袋にくるまって眠り,インスタントラーメンや食パンで腹を満たし(そうじゃない人もたくさんいるだろうけど),パンクや故障を自分で何とかし,足りなくなったものを補充しながら進んでいく。
いちいち面倒なことばかりだ。それをやれるのは大したものなのかも。2,3日のツーリングと日本一周は別物なのかもね。
だから,現在,日本一周を進行中に人には,まずもってなしとげてくださいと申しあげたい。“付加価値”をあまり直截に追い求めない方がいいような気がする。