● 今日は定休日。1日ずっと定休しててもいいんだけど,火・水が雨だったので,2日間自転車に乗っていない。ので,自転車で鷲子山上神社に行ってみることにした。
北北東に進路を取れ(実際は東北東なんだけどね)。本日,天気晴朗にして気温良順なれども,北よりの風,やや強し。
● 田んぼ道から293号に出るつもりが,田んぼ道を気ままに走っていたら,けっこう時間を喰ってしまった。途中で行き止まりになっていて,引き返してみたりね。
そんなことをしてる間に,八溝グリーンラインに出くわしたので,この道を通って馬頭に向うことにした。車で何度も走っているので,道路状態はわかっている。登りと降りしかない。降ったと思ったら,すぐに登りになる。八溝に分け入るというのは,そういうことだ。
あえぎあえぎ登ってやっと蓄えた位置エネルギーを,降りで簡単に放出してしまうのは,はなはだ面白くないのだけれども,こればかりは致し方がない。
● しかも,八溝グリーンラインは新しい道路だ。勾配が緩く道路に適したところは,すでに国道や県道になっている。新しい道路は,勾配がきつくトンネルが多かったりする。道路には不向きな地形のところに強引に通したという趣になる。
建設技術(特にトンネル掘削技術)の進歩がそれを可能にしたのだろうが,新しい道路は自転車で走るには向かないのだ。
● 最初の登りを終えると,長者ヶ平遺跡(鴻野山)がある。奈良から平安にかけて存在した古代役所の跡らしい。今は麦畑になっている。オヨネとマッツァンがデート中かもしれない。
古代遺跡は大方そうだけど,何でこんなところに,と思うのが多いね。
● 自転車は車道の左端を走るのが原則だ。自転車が走ってもいいとされる歩道はある(あらかたの歩道がそうなっている)。それでも歩道ではなく車道を走るのが原則。ましてロードバイクが歩道を走っていたのでは,洒落にもならない。
車道を走った方がスピードが乗るし,緊張を強いられるからか,気持ちもシャキッとする。疲れたときほど,歩道に逃げないで車道を走行すべし。
● とはいえ,車道に出るのが恐怖に感じる場合もある。橋とトンネルだ。
八溝グリーンラインにはトンネルが2つある。小白井トンネルと三箇トンネル。ここはさすがに歩道を走行してしまった。その歩道も狭い。
トンネル内の空間を左右に半メートル広げると,工事の難易度や費用がどれだけ増えるか。狭いのは我慢しなければなるまい。歩道がないトンネルもあるのだ。
● が,かなり走りづらい。壁に接触して車道側に横転したところに車が来たら,と良からぬ想像をしてしまう。
かといって,ソロソロと走るのは癪にさわる。あまりソロソロ走ると,ジャイロ効果が減殺されてふらつきが起こるから,かえって危ないしね。
車道に緑色で塗装された自転車レーンがあるところが増えた。その自転車レーンの幅と,このトンネルの歩道の幅はほぼ同じじゃないかと思う。
自転車レーンは造作もなく走れるのに,トンネル内の歩道はけっこう厄介だった。
● トンネルを抜けてホッとしたところに自販機があった。日本はかなりの田舎に行っても,コンビニと自販機がある。自転車乗りは,この2つにかなり助けられているのではあるまいか(疲れたと思ったら,水分が足りていないのだ。糖分補給の前に給水するのが吉)。
特に,夏場は自販機に助けられる。ペットボトルのキリッと冷えた水のありがたさ。飲み終えて走りだすと,1分後にはもう喉が乾いているのだけど。
● 八溝大橋で那珂川を渡ると,県道那須黒羽茂木線に合流して,八溝グリーンラインは終わる。この道路を自転車で走るのは,今回をもって最初にして最後にしたいと衷心から思ったんでした。
農産物の直売所がある。ここで休憩。エネルギーを充填。ぼくの少ない経験からすると,すぐさまエネルギーに変わってくれて,疲労感を薄めてくれるものは,不二家ネクターにとどめを刺す。
昭和の御代に,「おじさぁん,ネクターちょうだい」「ピーチがええですかいのぉ,オレンジがええですかいのぉ」とやっていたアレだ。
今はピーチしか見かけなくなったけど,そのピーチをぼくは珍重している。
● とある爺さまと話をした。彼は木の芽を取りに来たらしい。今年は1週間早い,と言っていた。
そういえば,この辺は5月の連休が田植えの書入れ時になるのだが,すでに田植えを終えた田んぼもあった。作業中の人もいた。桜も早かったしね。
● 馬頭に来てしまえば鷲子山は近い。293号をしばらく行って,県道矢又大内線に入ってすぐだ。が,遠回りして行くことにする。大内,大那地を走ってみたいのだ。理由は単純。車でも走ったことがないからだ。
で,馬頭市街を抜けて,県道矢又大内線の終点側から走ってみた。大内川に沿って上流に向かうことになる。
● 大内はかつては林業が盛んだったのだろうが,今や限界集落に近い状態になっているのではないかと思っていた。ところが,全然そうじゃなかった。ぼくのイメージでは豪邸といっていい邸宅がそちこちにある。○○城と名付けたくなるような家もある。
車があれば10数分で馬頭の市街地に出ることができる。僻地というのは,それだけではたいしたハンディにはならないのだろう。問題は,車を使えなくなった高齢者か。
● 途中から道路のセンターラインが消え,大内から大那地に入る。さすがに人家もまばらになる。
この道路,車の交通量も少ないし,勾配も緩やかだ。山あいの日本の原風景(たぶん,それは幻想だと思うのだが)を堪能できる。もう一度といわず,何度でも走ってみたい道路だ。
● “鷲子山まであと3km”の表示があるところから,少し勾配がきつくなる。ここから先は大型車通行不可。大型車が通行できるだけの幅員がない。
喉がカラカラになってきた。が,神社に着けば御神水が飲み放題のはずだ。楽しみだな,御神水。
● 鷲子山に着くと,黄門道路の標識があった。水戸黄門が歩いた道路だという。ので,ぼくもそこを歩いてみることにする。
自転車は押すしかない。MTBやCXBなら走れるかもしれないけれど,神域に入っているのでやはり自転車からは降りて歩いた方がしっくりくる感がある。
● 黄門道路が終わるところに,亀井戸なる水飲み場があった。さっそく御神水だ。かけつけ3杯。天然の湧き水ってのは,水道水に比べるとトロッとしてますな。
● 神社もマーケティングには苦心するのだろう。真岡の大前神社は日本一の恵比寿様というキッチュなものを作って,御利益なさげ感を醸してしまっているが(それを目当てにやってくるバカがけっこういるようだから,戦略としては成功),鷲子山上神社はフクロウを前面に立てている。そこここにフクロウがいる。不苦労というわけだ。
● 苦労が人を育てるというのをあまり真に受けない方がいいと思うし,しなくてもすむ苦労はしない方がいいに決まっているのだが,とはいっても人生に苦労は付きものだ。
おそらく,万人に平等に降り注いでいるはずだ。自分だけと思ってしまいがちなんだけどね。
逃げようとしても苦労は追いかけてくる。その速度はマッハを超えるので,逃げおおせることはできない。逃げないで迎え撃つのが正解だ,と,この年になって思う。
● 鷲子山上はパワースポットだという紹介もされる。いい加減にしたらどうかと思っている。自分が今いるところがパワースポットなのだと考えておけばいいではないか。
この世界のどこかにパワースポットと呼ばれる場所があって,そこに行けば元気をもらえる,健康になる,運気がよくなる,寿命が延びる,などということのあるわけがない。元気も健康も運気も寿命も,自分の内側にあるものだからだ。パワースポット巡りをするほどの暇があるなら,それこそ運動でもした方がずっと効果的だろう。
● ま,最後の最後は神頼み,厄払いということか。でも,最後の最後にしておかないとね。まずは人事を尽くさないと。
冷静に人事を尽くすなんてできないからね。人事はドタバタと尽くすしかないものだ。
● お守りを2つ買った。ひとつは実家の母親に。もうひとつは,職場に多事多難だと泣いている人がいるので,その人に。
言うも愚かだけれども,こういうものは神社に寄付するつもりで買うものだ。お守りで,多事多難に泣いている人が泣かなくてすむようになることはない。あたりまえだ。
ただし,気にかけてくれてた人がいたと知ることで,多少は気分が晴れるかもしれない。
● 復りは烏山経由。神社から293号に出る道は2つある。ひとつはここまで走ってきた県道矢又大内線を通るルート。もうひとつは,美和村(今は常陸大宮市)の鷲子に出るルート。烏山に出るなら後者。
ちなみに,車で来る場合は,前者は出口,後者は入口となっている。どちらも幅員が充分にあるわけではないので,来るときはこちら,帰るときはこちらと神社側で決めているようだ。
● 快適な降り。けっこうな勾配だ。で,思った。逆にここを登らなければならないとしたら,ぼくの脚力ではかなりきつい。っていうか,無理だろう。たぶん,押して歩いたのではないか。もうひとつのルートも同じかもしれない。
大那地経由の遠回りで来たのは正解だったかも。距離をかけて勾配を稼いだから,たどり着けたのかもね。
● 293号に出てからも降り。県道烏山常陸太田線に入って,大沢経由で烏山の市街地に出る。ここもまた降り。すべては那珂川に向かって降っていく。
鷲子集落から烏山高校に自転車通学している高校生がけっこういるんじゃなかろうか。部活が終わった後に,この道路を登って帰宅するのか。相当に酷だなぁ。っていうか,運動部に入らなくても,通学だけで充分すぎる運動量になりそうだ。
● というわけで,鷲子山上神社から烏山まではあっという間だった。
ここまで走ってくると,那珂川のほとりにあるわずかな平地が烏山の市街地なのだとわかる。四方から人々が降り集ったのが烏山なのだろう,と想像してみる。
● もちろん,那珂川の水運もあった。かつて,那珂川の左岸側は水戸藩だった。徳川様の御領地の僻遠に住む人たちが,那珂川の対岸に光るあまたの灯りを見て,川の向こうには何があるのだろうと憧れを抱き,行ってみたいものだと思ったに違いない。
その程度には烏山は栄えていた。“町”だったのだ。四方の人たちにとって,“町”はすなわちハレの場だった。さほどに遠い昔の話ではない。昭和40年代の前半くらいまではそうだったような記憶がある。
● かといって,その頃に戻れればとはまったく思わない。屋形船を那珂川に浮かべて大人が楽しんでいた。売春防止法以前は,烏山には遊郭もあったのだ。いずれも男の遊び場であって,女は遊ばせる側に回ってお金を稼いでいた。
今は寂れてしまった烏山だが,それでも今の方が,人々の幸せ度は高いだろう。なにせ,人口の半分は女なのだから。
ま,遊びも才能だけどね。遊べる人は,どんな環境でも遊べるものだと思うんだけど。
● 烏山駅前のそば屋で遅い昼食。念のために申しあげておくけれど,本格蕎麦屋ではない。立ち食いに近い。というか,テーブル席もあるけれど,立ち食い店だ。
ぼくはここのうどんがわりと好きで,烏山に来ると,だいたいは立ち寄ることにしている。オーソドックスに天ぷら(かき揚げ)うどんがよろしいかと思う。が,今回はカレーうどんにしてみましたよ。
うどんが少し緩い感じがした。茹ですぎたのか,もともと緩いうどんなのか。後者だとは考えづらいが。
● 神長トンネルを避けて旧道を走ってみた。登って降ることになるんだけど,トンネル内を走るよりいいかな,と。それに,旧道は子供の頃から何度も通った道だ。
途中にあるため池はぼくの原風景(?)のひとつといってもいいものだ。そこで遊んだことはまったくないんだけど,どれくらい深いんだろうとか,何が住んでいるんだろうとか,落ちたら死ぬのかなとか,ま,いろいろとね。
そのため池,昔と同じ姿でそこにあった。水が涸れることもなく。
● しばらくご無沙汰している実家に立ち寄って,最期の山越え。熊田(旧下江川村)から南大和久(旧荒川村)への峠越えだ。高校生のときは,ここを5段ギアの“セミドロップ”の自転車で越えていた。押して歩いた記憶はないから,どうにかこうにか越えていたんだろう。
はるかに年を取ってしまった。乗ったまま越えられるだろうか。自転車はこれで越えられないなら,もう他にないといってもいいロードバイクだ。
リアを最も軽いギアにして,フロントも小さいのにチェンジ。ギア比を最も高くしてヒコヒコと登り切ることができた。
● 田野倉から鴻野山までの県道宇都宮烏山線が最期の難所。そこが何で難所なんだよと言われそうだけど,だらだら坂がずっと続くのだ。
20インチミニベロでここを走っていたときは,途中で休まなかったことがないほどだ。だいたい夏場なんだけど,けっこう消耗するのだ。
でもさ,ロードで走っててここで休んでたら,みっともないこと夥しいよね。そういうことにはならずにすんだんだけど,坂には極端に弱いようだ。もうちょっと速く走れてもよさそうなものだと,われながら思うんだけどねぇ。
● もしぼくが起業することがあれば(百パーセントないと思うが),業種のいかんを問わず,ヘタレ通運株式会社という名前にするだろう。ピッタリだもん。
この世には坂バカと呼ばれる種族が棲息しているらしい。日本国内でも棲息が確認されている。坂を見れば登りたくなるという,世にも不思議な種族なのだ。ぼくは上り坂と向かい風は避けたいもののワン・ツーだけどなぁ。
●このようにして,無事に帰宅した。労力的には,八溝グリーンラインが前半で,それ以降が後半。だいぶ走ったと思えるんだけど,スマホアプリによれば81kmしか走っていない。通勤の1往復半にも満たない。そんなものか。距離感覚の修正が必要だな。
消費カロリーも770。通勤片道分と同じくらいだ。これはおかしいだろ,全然おかしいだろ。
● 紫外線もたっぷり浴びた。半袖のTシャツと半ズボンで走っていたのだ。小学校の臨海学校に参加したときのように,1日で日に焼けた。皮膚が老化するとか,皮膚がんになる可能性が高まるとか,そんなことはどうでもよろしい。紫外線が多い時節には紫外線を浴びるがよく候,と存ずる。
ただし,これからは熱中症には注意しないといけない。水分をこまめに取ることは必須。無帽は無謀。