2018年5月31日木曜日

2018.05.31 自転車事故後の変化

● 自転車事故後の変化3つ。
 1 すぐ眠くなる。いくらでも寝れる。
 2 食欲がない。食べないでいられる。
 3 出かけたくない。ずっと家にいるのが平気。

● そげなことを言ってても仕方がないので,これから宇都宮に行って,メガネを作ってくる。これがないと車の運転もできない。自転車を取りに行くこともできないからな。
 んでも,玄関を出るのがすっげえ億劫なんだわ。

● というわけで,宇都宮駅ビルに入っている「JINS」でメガネを作ってきた。が,遠近両用の場合,できあがるのに1週間かかるらしい。
 もうひとつメガネを作っとくんだったと思っても,ここでも後悔先に立たず。

● それまでは,外れたレンズをうまくはめ込んで,事故にあったメガネを使うしかないんだけど,その片われが相方のバッグの中にある(たぶん)。
 遠視のない近視だけのメガネがあったはず。車の運転はそれで可能かも。が,それがどこにあるのか見つからない。困ったものだ。
 つまり,自転車をピックアップに行けないでいるのだ。2日経っているのに。明朝,早く出るしかないかな。

● ところで。左手がほぼ使えないので,駅で切符を買うにも少し手間どる。車内で本は読める。が,電車が宇都宮に着いたときに,読みかけの箇所に栞を挟んで,本を閉じて,バッグにしまうという一連の動作にも手間どる。
 するとどうなるかというと,世間の動きがかなり速いと感じる。バタバタしてしまう。付いて行くのが大変だ。松葉杖の人なんか,どう感じているのかね。

● もうひとつ発見あり。パソコンのキーボードも片手で打つことになる。したがって,速度が落ちるのは仕方がないのだが,打鍵するキーを間違えることが頻発するのだ。これはある意味,新鮮な発見だ。ゆっくりなのに,なぜ間違う?
 タッチタイプで高速入力する方がタイプミスは少なくなる。いや,それは当然のことか。

2018年5月30日水曜日

2018.05.30 転倒し 自分の血を まざまざと見る 2

● 事故翌日の夕刻,相方に付き添われて,地元のFクリニックに。
 今更病院に行ってみたところでしようがないよ,と思ったけれども,相方が心配してくれてるのもよくわかるし,迷惑をかけてしまっているのもわかるので。

● で,腫れている両手のレントゲンを撮ってもらうことに。痺れのひどい右手は異常なし。が,腫れているだけの左手に骨折があった。
 そこ,ぜんぜん痛みはないんですけどねぇ。
 でも,きれいに折れてますよ。ボクサー骨折といわれるんですけどね,ボクサーがパンチを当てたときに折れやすいところですね。
 サイクルグラブで保護されてたところなんですがねぇ。
 グーの状態で手をついたんじゃないですかね。折れやすいところなんですよ。財布を持って転ぶとかでも折れることがありますから。
 そういえば,最初に腫れたのはそこでしたね。
● というやり取りをして,固定具を作ってもらうことになった。骨を矯正して固定する。その矯正のときはかなり痛かった。女性が出産するときの痛みはこんなものじゃないはずだ,と言い聞かせて耐えましたよ。
 右手の中指も固定された。これじゃパソコンのキーボードが叩けないから,仕事にならない(この状態だとスマホの方が扱いやすい)。
 困ったもんだ。それもこれも,すべて自分の不注意に起因するのだが。

● 病院にいる間に雨になった。しかも,かなりの降り。自転車を取りに行かなければ。恐る恐る相方に回ってくれるよう頼んでみた。が,自転車なんてそのままでいい,と。アララ。
 完璧に働いてくれていたのに,乗り手がヘマしたばっかりに,この雨の中を濡れているのか。たまらんなぁ。

● こうなって気づくことが2つある。
 ひとつは,人の身体機能は全であって初めて一であることだ。どこかが失われると,喪失箇所はそこにとどまらず,全体が影響を受ける。
 身体に障害を抱えている人は,見た目以上に大変か。それが常態になると,新たなバランスが生まれるのかもしれないが。

● もうひとつ。配偶者への依存度の高さ。何だかんだ言って,それは痛感する。
 ぼくのような男と結婚してしまい,あまつさえこういう頓馬の尻拭いもさせられる。
 でも,アホタレと悪態をつきながらも,どことなく嬉しそうに見えるのは,こちらの欲目というやつか。

● あ,あともうひとつ。ぼくはまだ多少なりとも給料を運んでいるからアレだけれども,完全引退してからこういうことを仕出かすと,たんなる穀潰しになってしまうのかも。
 配偶者や周囲からそう言われる前に,自分でそうだと決めつけちゃうかもしれない。ちょっと切ないね,これ。

2018.05.30 転倒し 自分の血を まざまざと見る

● 昨日のこと。
 やっちまった。自転車通勤。五行川サイクリングロード。職場まであと数キロの地点で転倒。

● 頭部の打撲はなし。首から下は無傷。骨に異常はない。前歯が1本グラグラする。顔面から出血。五行川の水で洗い流し(それしかないから),来ていた下着を脱いで顔を押さえていた。出血は止まったが,これじゃ職場には行けないから引返す。
 自転車は大丈夫のようだ。ただし,左右の指が細かく痛むので,ハンドルを握れない。しばらく休んでからにしよう。
 このとき,横になりたいと思った。こうした事故はたとえ軽症でもけっこう消耗するらしい。

● メガネ破損。自転車も無傷というわけにはいかなかった。前輪がパンクしていた。タイヤがわずかに裂けている。
 向こうに神社があるので日陰に避難(水道が使えたのはありがたかった)。パンクを直して自走で帰ろう。

● 予備チューブは持っている。が,指が思うように動かないので,難儀。事故ったのは8時。5時間以上経過するのにまだ現場の近く。
 チューブ交換後のタイヤのはめ込みができない。残り20センチがどうにも。ミニベロでも苦労したけど,これほどではなかった。コツがあるんだろうか。これではパンクの修理も自分じゃできないことになる。
 さらに粘ってみたが,諦めることにした。自転車は逆さにして神社に置いていくことにする。盗んでいく人もいないだろう。

● 一般道まで歩いてタクシー会社に電話した。顔はフランケンシュタインさながらだし,服には血糊がアチコチにあるので,これでタクシーに乗るのは憚られたんだけど,しようがない。
 家に戻ったときにはグッタリ。病院に行くのは拒否。そのまま横になった。両手の中指,薬指の第二関節から先に,疼痛あり。2秒に1回,痛みが走っていく。
 それが眠るのを妨げてくれたが,いつしか寝入っていた。

● 日本広しといえども,今日1日をこれだけ益体もない過ごし方をした人はそうそういないだろう。

● さて,一夜明けて。顔の傷は絆創膏を貼って隠せるし(顔は腫れていない),両手指の疼痛も消えた。痺れてはいるが。
 出勤できるかなと思ったんだけど,問題は指に力が入らないこと(しかし,サイクルグラブを付けていたから,この程度ですんだと思う)。車のハンドルを握れないかもしれない。
 ので,相方の言うところにしたがって,休んでしまうことにした。

● 病院にも連れて行かれそうだ。自然治癒力でOKの範囲というのが自己診断なのだけどね。
 それより,自転車を取りに行かなくちゃ。メガネも直さなくちゃな。自転車も販売店に持っていかなくちゃ。自分じゃどうにもできないんだから。ホイールも歪んでいるかもしれないし。

● サイクリングロードで転倒なんて,普通ならあり得ないことだ。超初心者コースでなぜ転倒する?
 調子が良くて快調に飛ばしていたことは事実だ。自己ベストを更新できそうでルンルン気分だった。
 が,30km/h出そうが,40km/h出そうが(ぼくには出せないが),ちゃんと前を見て走っていれば,自転車は安全な乗物なのだ。普通に整備した状態で乗っていれば。だから,速度が出ていたのは確かだけれども(しれた速度ではある),それが転倒の原因ではない。

● よそ見をしてしまったのですよ。裾バンドが緩んできたような気がしたので,自分の右足首を見てしまった。時間にすれば2秒くらい。
 これでハンドルが右を向いてしまった。これがあと2m先であれば土手の斜面を滑っていくだけですんだと思うんだけど,たまたまそこだけコン柱が何本か,鉄パイプが何本か,まとめて道路際に置かれていた。そこに乗りあげてしまったんだなぁ。

● 乗りあげてもコントロールはできたかもしれない。そこでアッと思ってしまった。アッと思ってしまうのはコントロールの放棄だもんね。そこで勝負あった。

● ともかく,裾バンドが気になるのであれば,速度を落とすか自転車を停めて確認すべきだった。それを怠ってしまった。
 それ以前に,緩んでしまうような安物の裾バンドを使っていたことが絶対的なミスだ。

2018年5月28日月曜日

2018.05.28 1日損した

● 天気予報では夕方から雷雨があるかもというので,自転車通勤は自粛。が,雨は降らなかった。これなら自転車で出勤すればよかった。

● 自転車はね,通勤をメインに使いたいんですよね。休日は別なことをしたい。
 それが思うに任せないものだから,休日にしわ寄せが来てしまう。平日に乗れなかったんだから,休日に乗らなきゃって。休日に乗るんだから50kmや60kmじゃなくて,ある程度の距離を乗りたいな,となる。
 結果,休日にやりたかったことが滞ってしまう。どうもバランスが悪い。

● 通勤に自転車を使わない第一の理由は,寝起きの気分。どんよりしてるので,よし自転車で,って気持ちになりにくい。
 つまり,主たる理由は自分側にある。したがって,ここは改善が可能だし,改善すべきだ。

● もうひとつ,今月はわりと天候不順。不順というほどでもないんだけど,夕方から雨とか,わりとあった。
 自分が濡れるのはかまわないけど,自転車を濡らすのは嫌だ。

● といって,1年以上も乗らずにいたんだからね。それなのに1日損したっていうのもなぁ。

2018.05.27 粕尾峠と古峰ヶ原街道

● 明日からまた天気が思わしくないらしい。だとすると,今日は乗っておかないと,だいぶ間があいてしまうかもしれない。
 ではどこに行こうか。栃木県秘境探検ツァー(?)を進めるしかないか。2年前の八溝山に行って以来,中断していた(自転車自体に乗らなくなっていた)のを今年4月に再開して,鷲子山,茂木の入郷,深沢と走ってきた。
 難易度の低いところはこれで終わったと思う。これより先は中級編,上級編になる。

● これまた長らく中断している“私家版ツール・ド・栃木”も再開せねば。基本的にはこちらを先にして,秘境探検ツァーなどというのはその後がいい。
 が,“私家版ツール・ド・栃木”は泊を伴うことになるので,ちょっと先に回して,今日は秘境探検ツァーに出ることにする。中級編になるか上級編になるか,行ってみなければわからないけれども,鹿沼の秘境を走ってこようと思う。

● いったん氏家に出て,293号で鹿沼に向かうことにした。このコースは遠回りになるんだけれども,走りやすさを優先することにした。
 一度,このコースを鹿沼まで走ったことがある。そのときの記憶に基づいてそう決めたんだけど,特に走り安いわけでもなかったかな。

● オートバイのライダーが多かった。徒党を組んでブイブイ言わせている。今どきオートバイに乗って悦に入っているのは爺に決まっている。
 ぼくの後に付いてくるオートバイがあった。因縁でもつけようとしてるのか,こいつ。そうじゃなくて,すぐ先のコンビニで立ち寄る手はずになっていたようで,そこに向かうところだったらしい。すぐそこだったので,ぼくを抜いていくのが面倒だったのだろう。
 コンビニの入口前で爺たちがヤンキー座りでたむろっていた。爺になっても徒党を組まなければ遊べないとは,哀れ惨憺たるやつらだ。いや,待て。爺になっても一人でしか遊べない方が哀れか。

● 自転車のライダーも多い。こちらはだいたい一人。十字路で信号待ちをしていたら,目の前をキャノンデールに跨がった若者(といっても30歳は過ぎているだろう)がこちらに挨拶をしてサッと通り過ぎていった。カッコいいなぁ。若さだよ,山ちゃん。
 ぼくもあの年齢のときに自転車に乗っていればなぁと思わぬでもない。が,その頃って自転車の低迷期で,その発想を持てなかったのだから仕方がない。
 当時もチャリダーはいた(チャリンコ族などという言葉があった)。彼らの中の誰かが書いた自転車本を読んだこともある。それでも自分も乗ってみようとは思わなかったのだから,これはもうしょうがないのだ。

● 日光街道と交差。徳次郎の集落だ。これ,トクジラと読むのだと思っていたのだが,信号機の標識板にはtokujirouと書かれていた。地名は文字よりも音が重要だ。もともとはトクジラと言っていたのではないか。徳次郎という字をあてたのがいつの頃かは知らないけれども,文字に引きずられて地名の呼び方が変わってしまうのだとしたら,はなはだ宜しからずと思う。
 江戸期には,日光への宿場町として栄え,賑わっていたというのだが,今はバーミヤンのしゃぶしゃぶ食べ放題のポスターが異彩を放っている。

● さらに進むと,「ろまんちっく村」が現れた。その存在は知っていたけれど,訪ねたことはない。どんなところなのか覗いていくことにした。
 巨大な道の駅だな。賑わっていた。けっこうなことだ。

● 次は多気不動尊。寄っていこうかと思ったけれど,参道の勾配を見て,その思いは瞬殺された。こんなところを登っていけるはずがない。
 ところが,その参道を自転車で下ってくる人がいるのだ。ここを登ったのか。どこかに別な進入路があるんだろうか。たぶん,後者だ。
 ここからは大谷も近い。いずれ,多気不動尊と大谷を訪ねるために休日に自転車を漕ぐことになるだろう。

● 愚直に293号を進み,大門宿の信号を右折。県道鹿沼足尾線に入る。すぐにコンビニ(ミニストップ鹿沼樅山店)が現れたので,人間エンジンにガソリンを飲ませることにする。
 イオンのプライベートブランド(TOPVALU)のお茶があった。このコンビニはイオン系列らしい。エネルギー補給は納豆巻きとチーズタルト。納豆を喰っとけば何とかなるという納豆信仰。ポパイにおけるほうれん草のようなものだな。

● この路線に入ってもオートバイ野郎が多い。徒党を組んで走りやがる。
 ロードバイクともすれ違う。そう,すれ違うのだ。足尾から登ってきたんだろうか。ほぼ全員がサイクルジャージを着ている。ぼくはTシャツに半ズボンで走っている。もちろんヘルメットはかぶっているし,手袋もしているけど。
 姿格好が実力を現している。ぼく,あなた方よりヘタレですよと語っているようなものだ。それでいいのだ。

● これだけはやらないと決めていることが2つあって,ひとつはビンディングペダルの使用。もうひとつはサイクルジャージの着用だ。
 ビンディングペダルはペダルを引きあげる力も推進力に変えるから,使うか使わないかで出せる速度が違ってくると言われるし,サイクルジャージも空気抵抗を減少させるらしいんだけど,そもそもそのレベルを云々するほどの力がぼくにはない。普段着で走る親父サイクリストでいいのだと居直っている。

● 山肌が削られている。何ごとかの工事をしているのだろう。こういう光景を目にすると,そのようなことはしない方がよいと思ってしまうのだが,その多くは素人の感傷なのだろうな。
 道路に沿って流れているのは思川。思川を上流に遡る行程でもある。この川が小山市内を流れて,JR両毛線の駅名にもなっているわけだ。何のつながりもないことだが,両毛線が思川駅に着くと,韓国の洛東江駅(慶全線)を思いだす。川の雄大さはだいぶ違うのだが。洛東江駅,現在は旅客扱いを停止しているらしい。ほんと,どうでもいいことで申しわけない。

● 下粕尾をあっという間に過ぎて中粕尾に入る。この中粕尾が広い。行けども行けども中粕尾。
 上粕尾の標識を見かけたときは,やっと上まで来たかと思った。上粕尾はどこまで続くか。粕尾峠までだ。この時点でだいぶ上ってきた感があるんだけれども,本格的な峠越えはこの先だ。
 ここで給水休憩。自販機があったのでキートレモンを。

● しばらくは余裕だったのだが,給水ではない休憩を取ってしまった。40歳くらいのライダーがぼくに挨拶をして登り去っていった。息は荒かったが,ギアを余している。凄いものだなぁと感心して見送った。
 休むと足が軽くなるので,ギア比最大で登り始める。が,500mも行かないうちにまた休んでしまった。こんな調子だと,あと10回も休めば粕尾峠に着くだろうか。

● 実際にはこのあと休むことはなかった。なぜなら自転車を押して歩いたからだ。通算で500mはそうしたかもしれない。つづら折りになると帰って楽になる。勾
配が緩くなるからだ。
 それでも歩く局面があった。そこへ下りの車が止まった。窓を開けて美しいご婦人が声をかけてくださった。上まで登るんですか。えぇ,近いですよね。えぇ,まぁ。というやりとりをして,逃げるようにぼくは去った。なぜなら,このとき歩いていたからだ。恥ずかしいところを見られてしまったという羞恥心ね。

● この先が峠かと何度も思った。が,そのたびに裏切られた。粕尾峠は遠いのだった。
 それでもやっと,着いた。ここが峠か。木々に囲まれているので,はるかに足尾連峰を臨むというわけにはいかないけれども,しばらくウロウロしてしまった。

● このまま直進して降っていけば足尾の里。右に進路を取る。県道草久足尾線,通称,古峰ヶ原街道だ。
 その古峰ヶ原街道に入ると,景観がだいぶ変わる。那須を思わせる高原の様相を呈する。もちろん,那須に比べると,面積は猫の額ほどに思われるのだが。

● 山ツツジが咲いていたり,紫色の藤の花があったり,道路沿いの風景も心和むものだ。けれども,ぼくは意気消沈している。古峰ヶ原街道は上りだったのだ。
 粕尾峠がこのあたりの最高地点だと思っていたのだ。最初から下りだと思ったのだ。上りに対応できる脚力などもう一滴も残っていない。遠慮なく押して歩いた。
 しかも,この上り,すぐには終わらなかった。1km,いや2kmはあったか。その間,ほとんど歩いてしまったのだ。

● 下りになると,いきなりかなりの勾配。粕尾ですれ違ったライダーの中にはここを登ってきた人もいるんだろうか。だとすると,超人だな。こんな急坂,ぼくは絶対に登れない。ほとんどヒルクラ
イムのコースだと思う(→地元ではヒルクライムコースのアピールもしていた)。
 ブレーキを使いすぎて手に力が入らなくなりそうだった。下りで休憩したのは初めてだ。

● とはいえ,深山の霊気というか冷気というか。めったに味わえない空気が染みてくる。つがいの猿が(猿につがいがあるのかどうか知らないが)道路を横切っていた。
 だいぶ下ってきたなと思ったところに古峯神社があった。土産物店が軒を連ねている。かなりの賑わい。
 この神社も天狗印だ。修験道が始原なのだろう。霊験あらかただったのだろうか。商売が巧かったのだろうか。これほどの大神社に成長した。
 っていうか,勝道上人の日光開山の由緒を持ってるからね。

● 下ってここに来たので,ここは低地なのだと勘違いしてしまった。この場所なら奥宮があるのではないかと思った。が,鹿沼市街からここに来るにはかなり上らなくてはならない。とすると,奥宮はないんだろうな。
 横根山にある「深山巴の宿」に奥宮を祭ってあるようだ。が,それは比較的最近のことではないか。もっとも,社などなくても,「深山巴の宿」それそのものが奥宮であったろうかな。

● 土産物店などなくてもいいからコンビニがあって欲しい,と切に思った。コンビニの1人分の働きが土産物店の10人分の働きに匹敵するだろう。いや,そういうことではなく,土産物店に欲しいものはないからだ。
 鳥居がいくつもあって,入る人も出る人も一礼している。そういう人たちを善男善女と呼ぶのは間違いだ。そんなことで今までの罪科が許されると思うなよ。意地悪くもそう思ってしまうのだ。
 
● 古峯神社を出発。しばらく行くと瑞峯寺がある。鳥居があった。明治の神仏分離の前は,これがあたりまえの風景だったのかもね。古峯神社とのつながりも当然あったのだろう。
 ただ,今日は通過するしかなかった。“一の鳥居”近くの石裂神社も通過。
 このエリアは相当に濃いものがありそうだ。サイクリングの途中に立ち寄るのではなく,そのためにわざわざ来るべきところだろう。
 しかし,鹿沼市街から古峯神社まででも自転車で行く気になるかというと,謹んでご遠慮申しあげたい。“一の鳥居”までなら行けるだろうけど。

● 大芦川に沿ってどんどん下る。いや,古峯神社から鹿沼市街まではかなり遠いのだった。下りだから苦にはならないけどね。
 293号で帰るのは億劫になってきた。短い距離ですむ宇都宮経由にしよう。というわけで,県道宇都宮鹿沼線を進むことにする。この路線の坂などは坂のうちに入らないね。気持ちいいほどスイスイ走れるんだわ。
 途中,コンビニ(セブンイレブン鹿沼府中町店)で栄養補給。塩だいふくとチーズケーキ。すぐにエネルギーに変わってくれるもの。

● 宇都宮の市街地に入って,この県道の旧道を進んでいくと,ユニオン通りに出る。したがって,オリオン通りに直結する。日曜の夜,オリオン通りは若者たちで賑わっていた。溢れるほどにお客さんが入っている居酒屋もある。
 オリオン通りには賑わいが戻っているんだろうか。何だか,とてもすごい発見をしたような気分になった。

● 走行距離は147.67km。距離はいずれにしても,今日のコースはぼくには難易度が高すぎた。この先の栃木県秘境探検ツァーも,自分の脚力では相当に難儀するだろう。
 いったん棚あげするかな。といって,難儀しないだけの脚力がつくかといえば,年齢的にも持って生まれた体質的にも,その可能性はきわめて低い。いったん棚あげすれば,そのままお蔵入りになるだろう。

2018年5月26日土曜日

2018.05.26 『自転車人 2010 SPRING』

編者 山本 聡
発行所 山と渓谷社
発行年月日 2010.05.25
価格(税別) 1,143円

● 烏山の「ステーキハウス クローバー」の待合室にあったもの。特集は「ジテンシャLOVERS 51人のバイクライフ&愛車紹介」。
 51人の内訳は様々だ。プロのレーサーだったり,メッセンジャーだったり,普通に自転車を趣味とする人だったり。

● プロやメッセンジャーにとっての自転車は,プロ野球選手にとってのバットやグラブにあたるものだから,相応の資金を投入するものだと思うんだけども,趣味人もそれに負けず劣らず,自転車本体や周辺機器にお金を投じているんだな。
 それが趣味ってものかもしれん。ドッペルギャンガーのような安い自転車ですませればいいやん,自転車なんて走ればいいやん,というのでは自転車人とは言えない。

● ぼくも,ずっとネット通販で安い自転車を乗り継いでいたんだけど(結局,損をしたと思う),先月やっとリアルの販売店でGIANTのロードバイクを買った。やっと,自転車人になるスタートラインに立てた。
 この雑誌に登場している51人の人たちほどの思い入れは,たぶん持てていない。自分には自転車しかないという背水の陣は敷いていないからね。

● いや,そこまで言うと言い過ぎだ。この雑誌の登場人物たちも,自転車しかないというわけではないだろう。いろんなものを抱えながら自転車とつきあっているのだろう。
 ただ,つきあい方の密度が濃い。そこが自分との違いだ。自分もこうしてはいられない,という気にさせられる。もっとガンガン乗らなきゃ。

● 平野勝之さんのエッセイも。これ,単行本になってないよなぁ。なっているのに読み逃しているんじゃないだろうな。

2018.05.24 茂木町の深沢を走ってみた

● 本日定休日。晴れ。無風。わが愛車(ロードバイク)が,どこでも君の好きなところに連れてってやるよ,乗りなよ,と誘っているようだ。
 いや,別に誘ってはいないんだけど,10日に烏山の解石神社の奥宮に辿り着けなかったのが気になっているので,そのトゲを抜いておこうと思う。
 で,10日と同じコースで烏山の下境に。途中,龍門の滝で給水休憩。

● サイクリングの肝はスピードとタイムを頭から追いだすことだと思う。ヘタレはヘタレなりに気にしてしまうものだ。
 が,トレーニングのために出かけるんじゃないんだから,ゆっくり走って,時間を贅沢に使う。これが楽しく走るコツというかね。
 ぼくの場合だと,スピードとタイムを縮めて喜ぶのは通勤で走るときだけにとどめておきたい。

● 解石神社の前に,稲積神社にも行っておくことにした。入口が少しわかりづらい。神社はあそこにあると遠くからでもわかるんだが。
 ここに来るのは半世紀ぶりになるはずだ。小体な神社だが,神社は大伽藍ゆえに尊からず。いかにも村の鎮守の趣。

● 解石神社の奥宮。前回,いくら何でも来すぎていると思ったところから,さらにかなり登ったところにあったんでした。中腹ではなくて頂上にあった。
 そりゃそうだ。奥宮を中腹に作ってしまうようなズボラを,昔の人はしなかったろうからなぁ。
 中腹にあったと思いこんでいたのは何ゆえか。この記憶の変容はなぜ起きたか。

● ここが解石神社の奥宮への登り口。この石段を登りきったところで90度方向が変わる。
 写真だと斜度のきつさがよくわからないけれども,かなり急。手すりは途中でなくなる。が,8合目くらいから歩きやすくなる。
 そうして登っていくと,奥宮の屋根が見えてくる。参拝するための平地はわずかしかない。うっかりすると転落する。そこま
でのうっかり者はいないと思うが。
 ここから花立峠はかなり近い。

● 今回は小木須には出ず,このまま県道那須黒羽茂木線を茂木まで走ろうと思う。那珂川にそった道路で,下流に向かうわけだから,基本は下りなのだろうと思ってた。
 ところが,まるでそうじゃない。小原沢に入ると延々と続く上りがあった。車では何度か走ったことがある道路なんだけど,車だと勾配なんか気にしませんからね。

● ここまでも山越えはあった。でも,ぼくの脚力でもギアを余して登れる程度のものだ。が,ここでは途中で足を着きそうになった。勾配がきついからじゃなくて,上りが長いからだ。どうにかこうにか登りきれたのは,我ながらエライぞ,オレ。
 那須黒羽茂木線は主要地方道なのだが,このあたりではそんな面影はまるでなくなる。元々あった道を勝手につないで,ナントカ線という名前を付けてるわけだけどね。

● 茂木町との境に木戸不動尊がある。一度見たことがあって,妙に記憶に残っているというか,すごいものだなという印象があるというか。
 ので,今回,二度目の拝観。拝観料なんか取らない。管理人もいない。訪れる人もそんなにいないだろう。

● 天狗の面が印象的なんですよね。“天狗=修験者”だとぼくは単純に思っている。ここも修験道から始まっているのだろう。もっとも,修験道とはそも何かというのを,よくわかっているわけではない。
 にしても。こんなところによく造ったものだ。ここじゃなきゃいけない理由があったんだろうか。

● 茂木に入ると,そこは入郷地区。前回走ったのも入郷だった。山の斜面の下の方の家を見ながら前回は走った。今日は斜面の最上部ということだろうか。入郷は広い。隣の家に回覧板を届けるのも大変そうだ。昔は林業と狩猟で食べていたんだろうか。
 が,茂木に出るとスコン
と何か抜けたような明るさを感じた。峠のてっぺんに出て視界がドッと広がったからに決っている。茂木が明るくて,烏山が暗いわけではない。逆から来れば,烏山が明るそうに見えたはずだ。

● ここからはずっと下り。このあたり,「和の道」と呼ばれるようなんだが,何が“和”なんだ? 桜が植えられている区間があるんだけど,桜ゆえに和なのか。

● 茂木の市街へ。役場の前の道路や八雲神社の前の通りを流してみた。平日の昼下がりの茂木市街は閑散としていた。人がいないのだ。車は時々通っていく。
 数年ぶりの“道の駅もてぎ”。ここは一転して賑わっていた。茂木じゅうの人がここに集まっているのじゃないかと思った。

● 一将功なって万骨枯る,の趣もある。茂木の商店,食堂がここに集中して,そのために市街地はまったく空洞化してしまった。
 とはいうものの,時代に対応するにはこれしかなかったのだろうとも思われる。結果において徹底したスクラップ&ビルドが実現した。集積度は高まったが,スクラップされた分だけのビルドはない(たぶん)。

● 道の駅の「桔梗」でカツ丼セット。1,230円(めったにない昼食千円超え)。この店は蕎麦とわっぱ飯が売りのようなのだけど,そこでカツ丼を注文するという。
 このメニューはカツ丼が主役。カツ丼にハーフもり蕎麦が付いてくるのであって,もり蕎麦にミニカツ丼が付くのではない。どうでもいいことなんだけど。
 でね,蕎麦っていうのは少し食べればいいものだなと思ってね。東京に行った折には,“富士そば”で富士山盛りなんぞを注文して,これを完食できる間は健康ということだなどと,訳のわからんことをつぶやいているんだけど,いい蕎麦は少しでいいし,そんなにたくさんは食べられないものだな。

● 道の駅でだいぶ時間を喰ってしまった。解石神社の奥宮にも行けたし,木戸不動尊も見れたし,これで帰ってもいいんだけども,このまま茂木町を南下しようと思う。
 県道飯茂木線,深沢岩瀬線を走って,茨城県の岩瀬(桜川)に出るルート。逆川に沿って上流側に走ることになるので,基本的には上りになる。
 が,上りらしい上りは県境の200mくらい前からで,あとは緩い勾配の上り。那須黒羽茂木線の小原沢地内の上りに比べると楽だった。

● ここを走ってみることにしたのは,深沢地内を走ってみたかったからだ。でも,何となくダレてしまった。何でこんなことをしてるんだろうと思いながら走った。
 茂木までは解石神社の奥宮と木戸不動尊を見るというモチベーションがあったんだけど,一気に意気が下がった感じ。
 栃木県の秘境といっては失礼だけれども,奥地を走ってみたいと思ってるんだけど,何カ所か走ってみると,奥地はどこも似たような景観だとわかる。日本の原風景と言ってみても,何だか飽きてきた。

● 県境を過ぎると下りになる。この下り勾配がかなりきつい。幅員もぐっと狭くなる。岩瀬側から登らなければならないとなったら,ぼくには絶対に無理だ。押して歩くことになるだろう。
 2年前に八溝山に行ったときもそうだった。黒羽側から登って,大子側に降りた。逆だったら,登れなかった。

● 勾配がきつい分,アプローチは短い。あっという間に岩瀬の市街。
 県道岩瀬二宮線で五行川に戻ってきた。そこから先は勝手知ったるサイクリングロードだ。

● サイクリングロードからも見える長栄寺の山門。この山門以外は消失しているらしいのだが,よくぞこれを残したものだ。江戸初期の建立らしい。
 この姿はどうだ。山門は黙して何も語らないけれども,雄弁に何ごとかを語っているようにも思われる。

● 123.6㎞。ゆっくり走ったのと,休憩を取り過ぎるほどに取ったのとで,まだ体(力)が残っていた。7年前に同じくらいの距離を走ったときには,ヘロヘロになった。
 当時より体力が向上しているなんてことのあるはずはないから,あげてロードのおかげだと思う。ロードだから走れる。長い距離を楽に走れる。年寄りほどロードに乗るべきだ。ロードって,それ自体が補装具付きの自転車なのだ。

● 栃木秘境探検ツァー(?),難易度の低い順に進めてきたけれども,日帰りで可能なのはそろそろ終わりかな。200㎞を軽く走破できる脚力があれば別だけれども。
 それとも訓練を兼ねてもう少し粘ってみるかな。次は,鹿沼から粕尾峠まで登って,古峰ヶ原街道を通って帰ってくるというコースを考えているんだけどね。

2018年5月23日水曜日

2018.05.22 自転車通勤-復路を普通に走れた

● 自転車通勤。27.96kmを1時間11分54秒。平均速度は23.3km/h。自己ベストにわずかに及ばず。

● 信号待ちをしているところに,例の(?)ホンダマンがやってきて,サッとぼくの前に出た。ちょっと待ちーな,前に出るなら挨拶くらいしていかんかい。というようにはまったく思わず。お先にどうぞ,ぼく,遅いですから。
 今日は後に付いていくことにした。距離にして2km程度。27~28km/hで走っているようだった。これが28km/hの感覚かと身体で教えてもらえたのはありがたい。

● 彼は次の十字路を右に曲がっていく。ぼくは直進。すると,スピードがガクンと落ちたのは言うまでもない。
 年齢的に彼の速度で巡航するのは無理だけれども,体重をあと10kgは落とせる余地があるのが,ぼくの強みだ。
 つまりだ,もっと速く走れる可能性はあるってことだ。年齢的には無理だけど,体重的には可能。

● 復路は29.17km(ちょっと道を変えてみた)を1時間22分8秒。平均速度は21.3km/h。こちらは自己ベストを大幅に更新。復路で平均速度が20km/hを超えたのは初めて。かなりうれピー。
 しかも,帰宅した時点でまだ余裕があった。ヘタレにもヘタレなりにロードの恩恵はありますなぁ。

2018年5月21日月曜日

2018.05.20 羽黒山頂へ

● 本日,北東の風,強し。自転車を乗りだすのは諦めた。風に怖じ気をふるってしまったのだ。
 午後からやんでくれれば,上河内の羽黒山に行こうかと思うんだが。プチヒルクライムに挑戦してみる。

● で,午後は風がほぼ止んだので,羽黒山頂まで行ってみた。走った距離はたったの37.61km。
 羽黒山は低い山だ。30年も前になるけれど,車で山頂まで行ったことがある。ので,プチヒルクライムと言ってみたわけなんですが。

● 入口から道路を見ると,とんでもなく勾配がきつい。こんなところを登るのかと思ったら,早々に引き返したくなった。が,ここは車を置いて歩く人のためのもので,100mも行かないうちに駐車場があって,そこから先は人が歩ける程度の細い道になってるんでした。
 車で行くのは別の入口。はじめのうちは楽勝と思わせる勾配でしかなかった。イノシシが出没するから注意せよとの標識が出ていた。イノシシを見かけたら速攻で回れ右しようと思う。

羽黒山神社の御神水
● が,だんだん勾配がついてきた。アカンかった。5回,足を着いた。山頂まであとわずかというところで,動けなくなって中休止を貪ってしまった。
 キツイんだわ。どれくらいキツイかというと,吐くものがないのに吐きたいという感じなんですよ。

本堂。とは神社の場合は言わないのか。
● ロードで来てる人がぼくの他にもいた。グイグイ登っていくのだ。山頂に着いても自転車から下りずに,そのまま降っていくのだった。そしてまた登ってくるのだ。
 プロ(宇都宮ブリッツェンのメンバーとか)ではなさそうだ。素人さんのようだ。ヒルクライムの練習をしているのだろう。
降りも速い。ぼくはあんなに速くは降れない。彼我の差に唖然とする。
 かくなるうえは,これからは“ヘタレのサンゾー”と名乗ることにしよう。

● ただし,だ。5回足を着こうが,山頂を目前にして中休止しようが,ともかく自転車で羽黒山頂に登ったぞ。
 これについてツベコベ言うやつには,“だったらおまえ,自分で登ってみぃ。このアホンダラ!”と言い返すことにするぞ。

● 山頂の羽黒山神社は,由緒ありげなのに慎ましやかな佳きお社だ。御祭神は稲倉魂命(うがのみたまのみこと)。鳥居は改修工事の最中だった。
 御籤も100円。300円のところが多いと思うんだけど。引いてみたら大吉だった。とはいえ,御籤とは何かといえば,大量に印刷された紙片の中の1枚に過ぎない。

● 山頂からの眺めはなかなかのものだった。標高は458m。周りは平地(関東平野のほぼどん詰まり)。広々と視界が広がるのだった。

2018年5月17日木曜日

2018.05.17 氏家までポタリング

● さて,今日は自転車でどこを走ろうか。293号で鹿沼に出て,鹿沼足尾線を粕尾峠まで登り,古峰ヶ原街道を走ってみるか。
 それとも,土浦まで往復して数年前のリベンジを果たそうか(そのときは,筑波山の麓までしか行けなかったのだ)。
 と,前日までは考えてたんだけど,家事(?)で出発が遅れたので,どちらも諦めた。

● 近くをポタリングするかと思ったら,雨が降ってきちゃったよ(慌てて洗濯物を移動した)。間が悪いなぁ。
 でも,どこに行くかと地図を見るのは楽しい。コンビニで買った「栃木県道路地図」(昭文社のライトマップル)が活躍中だ。地図はスマホの画面ではダメだ。広いエリアをパッと視認できる紙の地図がいい。

● その雨,にわか雨というか通り雨で,すぐに上がったんだけども,これで出鼻をくじかれた。とはいっても,明日の天気は思わしくないようなので,今日は乗っておかねば。
 行き先はどこでもいいんだけど,鬼怒川を超えるのはどうも億劫だ。鬼怒川の東側で動いている。今回もとりあえず,氏家のビッグワンTSUTAYA までポタリング。もちろん,ビッグワンTSUTAYAに用があったわけではない。
 往復しても15kmに満たない。これじゃ走ったうちに入らないねぇ。

● したら,相方から連絡があった。氏家まで出てこれないか,と。塩谷町に出張したらしい。帰りに氏家で夕食を食べちゃいましょうというわけだった。
 ので,再度,氏家に。もちろん自転車。2往復して30km弱になったので,まぁまぁ良しとする。

● ただねぇ,わが家から氏家まではほとんどフラットだし,今日は無風に近い状態で走れたのに,平均速度は20km/hがやっとなんだよね。
 もう少しスピードが欲しいっす。以前,ミニベロで走ってたときは20km/hを超えたことなんか一度もなかったから,ロード効果はたしかにあるんだけれども,もうちょっと人間エンジンを改善しないといけないっす。
 年齢的にかなり厳しい状況ではあるんだけど,老骨に鞭打つんじゃなくて,老骨に油をさすっていうかね。

● 相方と落ち合ったのは百均寿司の「魚べい」。高根沢にあった「元気寿司」は撤退しているから,この近辺では貴重な回転寿司店なのだ。

2018年5月14日月曜日

2018.05.14 自転車通勤を妨げるもの

● 自転車通勤の難しさは最初の踏みだしにある。矢でも鉄砲でも持ってこいと言いたいほどの晴朗な気分で目覚めることなんかないからね(平日はね)。スッキリ起きられるなんて,3年に1回か5年に1回でしょ。下手すりゃ10年に1回か。そんなもんでしょ。
 大なり小なり,気分はどんよりしている。そのどんよりしているときに,片道28㎞をよし自転車で行こうという気持ちになるかというと,これがなかなかね。走りだしてしまえば,なんちゃないことはわかっているんだけど。
 自転車通勤を妨げるものの筆頭は天気だけれども,その次がこの最初の一歩の億劫さにある。

自転車なら通り抜け可。
● 今日は予報は晴れ。なので,行くしかないと思って,さて出かけるかというとき(6:45頃)に雨が降ってきた。降水確率10%なのに雨。これで車で行く口実ができたなと思っちゃったもんね。
 すぐに止むことは予想できたので,かろうじて踏みとどまることができたけれど。

● 走りだしてしまえばね,こっちのものなんですよね。くそ面白くもない通勤がレジャーになる。お金を払ってジムに行くなんてあり得ないでしょと思えてくる。自分で風を作って走るのは気持ちいい。
 何も考えないで走れているときは,すなわち無心。サドル禅と名付けたくなる(疋田智さんが言っていたかもしれない)。

● ちなみに,平日は朝食抜き。自転車で行くときも同じ。水は多めに飲んでおくけど,何も食べない。
 続けられれば痩せるはずだ。痩せた後の自分の体型を想像してニンマリする。そういう捕らぬ狸の皮算用も楽しむことができる。

● 27.27㎞を1時間16分。平均時速は21.4㎞。もう少しスピードが欲しいなぁ。ギアを一段軽くして,回転を増やした方がいいかな。
 途中で,別のロードに抜かされてね。抜いていったのは,高根沢町から(たぶん)ホンダに通勤しているサラリーマンだ。車で通勤しているときも何度も彼の勇姿(?)を見ている。雨の日も自転車なんですよ。かっこいいんだわ。
 付いていこうと思ったけど,あっという間に彼の背中は見えなくなった。だから,ぼくももう少しスピードが欲しい。と,年甲斐もなく思ったんでした。

● 復路は1時間56分。ありゃりゃ。全体的に上りなのと,今日は向かい風(最初は東風だったのが,北よりの風に変わった)。途中から夜間走行になるのも。
 もうひとつ,「道の駅はが」で休憩したこと。エネルギーが切れてしまうのだ。エネルギーの前に水分がとんでしまう。ので,不二家ネクターをね。

2018年5月10日木曜日

2018.05.10 烏山(滝~下境~小木須)~茂木

● とっころが。正午前に雨があがったじゃありませんか。あがったと思ったら,晴れ間が出てきた。神,我を見捨てたまわず。サンキュー,神様。だから,ぼく,神様って大好きさ。
 朝食を充分すぎるほどに食べていたので,昼食は抜いて,午後1時に出発。予定のコースを走ってくることにした。

南那須のバブル遺跡 マンション
● まずは烏山を目指すんだけど,大金トンネルは避けたいので,田野倉から南大和久に出て,大金台団地の坂を登った。
 途中,南那須のバブル遺跡がある。マンションだろうか。こんなものをここに造っても,住む人がいるとは今は誰も思わないだろうが,バブル期にはそうじゃなかったんだね。造れば売れると思ったんだろう。土地(区分所有権も)は持ってれば必ず値上がりするものだった。
 どうするんだろ,これ。今でも住んでる人が少しはいるらしいのだが。

南那須のバブル遺跡 教会
● 登れば降り。降ったところは月次(つきなみ)。ここから滝に出る。
 龍門の滝を見ていくことにする。午前中までの雨で水量も増しているだろうから,けっこう迫力があるだろう。
 いや,なかなかのものですよね。ふるさと民芸館(何でこんなものを造ったのかとは言うまい)には龍門の滝が見えるところに,木製のベンチがいくつか設えられている。
龍門の滝
 今日はちょっと寒いけれども,夏にここに来て,滝の音を聞きながら本を読むといいかも。読書が進むだろう。木立もあるから日が直接射し込むこともないだろう。

● もうひとつ,太平寺。宗派は天台宗。山門(仁王門)で睨みを利かす仁王像が印象に残る。
 相当に立派な構えなのに,長く無住の寺だった。今はどうなんだろう。最近建てたと思われる庫裡があったけど,鍵は閉まっていた。
 蛇姫の墓もある。墓は見ても面白いものではないし,ここも何度が来ているので,今回はパス。

● 滝から野上を経て,下野大橋で那珂川を渡って,下境へ。
 下境の集落に入る。このあたり,かつてはしばしば洪水の被害に見舞われた。那珂川が蛇行しているのと,少し上流で荒川が合流するんだから,被害が出やすい地形だ。
 河川改修の功あって,今はまず被害の話は聞かなくなった。河川改修で魚がいなくなったという話をかつては聞いたものだ。魚道など作らなくてもいずれ魚は戻ってくる(戻ってこない?)。
太平寺本堂
 申しわけないけれども,洪水被害の惨状は経験した者でなければわかるまい。

● この集落にはメジャーな(?)神社がふたつある。稲積神社と解石(とげし)神社だ。稲積神社は田んぼの中にある(今回は立ち寄らなかった)。明らかに農業神。豊作を祈願するために古の住民が拵えたものだろう。
太平寺山門(仁王門)
 幼少のみぎり,ここで“ささら”なるものを見たことがある。お神楽のようなものだったか,踊りだったか,記憶はまったく朧だ。
 那須烏山市のサイトを見ると,“ささら獅子舞”が市指定の無形文化財になっているようだ。ぼくが見たのもこれだろう。獅子舞だったのだ。

解石神社
● 解石神社は解石山(地元ではトゲッシャンと呼んでいたような)の麓にある。山の中腹に奥宮があって,二度ほど行ってみたことがある。
 今回も行ってみることにした。この山,斜度がけっこうきつい。大谷石で階段が作ってあって,手すりもあるんだけど,その手すりも途中からなくなる。この階段を登っていこうとはしない方がいい。階段を挟んでジグザクに登った方がよろしかろうと存ずる。

● 奥宮は中腹にあって,さほど登らなくても着いた記憶がある。が,今回はなかなか到着しない。息を切らせながら登って行った。いくらなんでも来すぎている。見落としたのだろう。戻ってみることにした。のだが,やはり見あたらなかった。
 以前は“さほど登らない”と感じたものが,今は“いくらなんでも来すぎている”と思ってもまだ着いていないようになったんだろうか。いやだ,いやだ,年は取りたくない。
 というわけで,奥宮には行くことができなかった。

● 解石神社は修験道が由来だろう。稲積神社とはまったくの別物だ。
 そのまったくの別物を,神社という同じ範疇で括ってしまう。日本人のいい加減さというか大雑把さというか,多様なるものを一括りにする感覚は,とても好ましいものとしてぼくには映る。
 違いに注目して細かくすることはバカでもできる。括るには知性を要する。

● 解石神社に着いて,写真を撮ろうとしたところで,スマホがフリーズした。こういう偶然があると,解石の神様が・・・・・・と考えたくなる。
 しかし,だ。スマホがフリーズした原因をどう推測しようとかまわないけれど,“神様が・・・・・・”という発想だけはダメだ。そんなことのあるわけがない。

● 単なる偶然を偶然にしておけなくて,ストーリーを与えたくなる癖が,人間の脳にはあるらしい。その方が収まりがよくなって,受けとめやすくなるからだろう。
 神様を持ちだすと,どんなことでもストーリーとして完結させることができる。何せ神様なんだから,対応できない状況はないのだ。だから,ダメだ。

● もし擬人的な神様を措定するとしても,せっかく自分を訪ねてくれた人に,スマホをスリーズさせるようなマネをするとは,神様としてすこぶる未熟ではないか。
 修行し直してこい,と言いたくならないか。そんな神様はいないのだ。

● 解石神社の前の林道をそのまま進んで,小木須に出ることにしている。今回の行程は車で最低一回は走っている。未知ではない。
 が,ここだけは初めて走る道だ。どんなところなのか。楽しみだ。

● 峠を越えなければならないことはわかっている。軽自動車でもすれ違うのは難しいほどの道幅だ。だから車はまず通らない。快適な峠道だ。
 充分すぎる既視感があった。ぼくも八溝で育っているので。子供の頃,実家の近くの山道を歩くと,こんな感じの風景と空気が展開した。その頃の自分には小さな探検であったな。

● 勾配もさほどではない。が,普通の自転車乗りにとっては“さほどではない”ということであって,どうもぼくは坂道に極端に弱いらしい。ギア比を最大にして,登っていったんだけど,ついにギブアップ。足を着いてしまった。のみならず,自転車を押して歩いてしまった。
 この程度の坂をロードで登れないとは,これいかに。誰にも見られなかったのは幸いというべきだろう。

● 降りは一気。降りきったところが小木須の集落。宝蔵寺という名刹(?)を横目に見て,そのまま走った。
 ここからも降りになる。木須川に沿って走るわけで,その木須川が那珂川に向かって下っているのだから。というわけで,小木須集落を抜けるのもあっという間だった。

● 先日走った馬頭の大内に比べても山あい感が強い。大内は伸びやかで開放的な景観だったのだが,ここはチマチマとしている。
 地形の違いの然らしめるところで,両側が山。その間の平地幅が狭いためだ。

● 茂木町に入った。河又地区。十字路になっている。大木須からの県道(牧野大沢線)とぼくが走ってきた県道(山内上境線)が交差するのだ。
 道路地図をコピーしたものに,自分が走る予定のコースを赤鉛筆でなぞっている。その地図を見てコースを確認した。その結果,直進するはずのところを右折した。現在地を取り違えていたからだ。ナンタルチア!

● まぁ,別段困ることはない。コースの選定にこれといった理由があるわけでもないのでね。
 で,そこから先は牧野大沢線をさらに降ることになった。主には入郷という山間部を走ることになる。

● 道路際の斜面に家がある。そこで爺さまが仕事をしている。傍らで幼児が遊んでいる。その子がぼくに声をかけてきた。おぉーい,どこ行くのぉ,とでも言ってるんだろうか。
 こちらとしては,右手をハンドルから離して,彼に向かって手を振るくらいのことしかできないわけだが。

● 小深地区をかすめて県道芳賀茂木線に出た。牧野大沢線はここで終わる。走ってみたいところもここで終わった。ここから先は帰途といっていい。その帰途は芳賀茂木線をまっすぐたどるだけ。
 ところが。ここでも左に曲がってしまった。ここは地図を確認しなかったので,想定外の道路を走っていることに気がつかない(バカですな)。

● しばらく行くと,「木造馬頭観音」という案内板があった。見ていくか。ガラス戸越しに憤怒のお顔を拝し奉ることができた。
馬頭観音がおわします
 ここで地図を確認。道を間違えたことに気がついた。この観音像があるところは下小井戸。だいぶ茂木市街地に近づいていることになる。茂木市街を通って帰ってもいいんだけど,ここは引き返すことにした。

● 芳賀茂木線を行くと,牧野(まぎの),大瀬,烏合田(うごうだ),町田,千本(せんぼ)を通ることになる。河又や入郷から来ると,だいぶ拓けたところに映る。平地が増える。米を作付けする面積が多くなる。その分,養える人口が増える。
 今はこの違いはあまり関係ない。道路と車がいともたやすく乗り越える。が,大昔はさぞや。

● 小さなアップダウンが続く。那珂川から遠ざかるわけだから,降り一方ではない。これがやけに堪える。千本では坂の途中でヘタりこんでしまった。
 う~む,これじゃブルベなんてとても無理だわ。

● 千本を抜けると市貝町。平地の町だ。視界を遮るものがない。広々する。県道杉山石末線に入ると,半分帰ってきたような気分になった。
 このあともアップダウンはあるんだけど,峠越えではない。丘を越えて行こうよ的な。でも,丘越えもけっこう堪えるんだわ。
 疲れてくると周辺視野が狭くなる。つまり,下を向いてしまうから。ここ,気をつけないといけないね。

加茂神社
● 高根沢でも南東部はぼくにはほぼ未知。柏崎とか桑窪あたり。「元気あっぷむら」の先に行くことはまずないから。
 県道沿いに加茂神社があった。周辺を「梵天公園」として整備しているようだ。寄ってみた。参道は雑草が繁り放題で歩けない。公園としてここを使う人もあまりいないようだ。年に一度のお祭りの前には綺麗になるんだろうけど。

● 明るいうちに帰宅できた。スマホのGPSロガーアプリを見ると,走行距離は55㎞。いくら何でももっと走ったと思う。
 小木須から茂木に入ったあたりでアプリがダウンしたようだ。そこから自宅までは直線になってしまっている。解石神社のフリーズのときは,うまくつながったんだけどね。

● 今週に入ってから低温続きで,ぼくの仕事先でも風邪を引き込んで休んでる人がいる。ぼくも,昨日からイヤな咳がでていたのだ。
 たいしたことはないと思ったので出かけたわけなんだけど(食欲はあるし),家に着いたら寒気がするのだ。ひょっとすると微熱があったかも。
 解石神社の奥宮が遠かったのも,小木須への峠越えで足を着いてしまったのも,地図の見方を誤ったのも,加齢の問題ではなかったかもしれない。