2015年8月19日水曜日

2015.08.19 ともかくドッペル君があればこそ,自転車通勤ができる

● かなりドッペル君の悪口を書いてしまったんだけど,ドッペル君が来てくれたからこそ,また自転車通勤ができるようになった。
 車は奥様専用で,ぼくは使えない。2台買うほどの経済力はない。電車だとひと駅の距離。最寄駅まで歩いて電車を待って,着いてから職場までまた歩く。それよりは自転車のほうが所要時間が短くてすむ。

● 何より自転車通勤は気分がいい。距離は約8㎞で,しかもほぼフラットなので,もの足りないくらいだけれども。それもドッペル君がいればこそ。
 私家版「ツール・ド・栃木」も近いうちに再開したいんだけど,それも当然,ドッペル君で。

● ドッペル君は,かなり安いつるしの既製服のようなものだ。さっさと着古してしまうのがいい。そうなるよう,せっせと乗りたいものだ。
 自転車の寿命というか,自転車1台の一生の走行距離って,どのくらになるのだろう。保管状態とか乗り手の体重とか路面状況とか,諸々の要因によってかなり違ってくることは当然として,ざっくり平均するとどのくらい? 地球一周分くらいは走るんだろうか。

2015年8月18日火曜日

2015.08.16 ドッペル君のタイヤ交換が終了

● ネット通販でタイヤ,チューブ,リムテープの3点セットを2本購入。それが届いたので,早速,交換作業に入った。
 買ったタイヤのサイズは20×1.5。1.2なんてのはないんだからしょうがない。

● 無事に終了した。前輪の着脱にはトンカチが必要だった。はずれさえすれば,作業自体は簡単だ。
 後輪の着脱はていねいにやらないとブレーキにあたってしまう。結果,ブレーキのクリアランスが変わってしまうことがある。そうなると,ぼくには手も足も出ない。だから,ていねいに。

● これもどうにかクリア。で,ドッペル君,また走れる状態になりましたよ,と。これでしばらくパンクには無縁でいられそうな気がする。
 パンクってするときにはするわけだけど,今までみたいなことはないだろうと思う。タイヤとチューブがまともになったんだから。

● このドッペル君に関しては,もうタイヤやチューブの交換はしたくない。輪行もしたくない。すべて自走で乗りつぶそうと思う。
 ベタに走って,乗りつぶす。たとえ3万円といえどもそうやって元を取ろう。

● っていうか,そういうふうにしか乗りようがないんじゃないかなぁ。チャリダーマンさんがやったような改造は,相当な知識と経験がないとできないだろうからね。

2015.08.13 ドッペル君 3

● タイヤ,チューブ,リムテープの3点セットを,前後輪とも交換することにした。デフォルトでついてくるタイヤ,なんだかチャチイんでね。穴が空いたし,真ん中の糸もほつれてきたし。
 ドッペルを買ってまず最初にやることは,この3点セットを交換することかもしれなかった。

● ここで問題になるのは,そのタイヤサイズが20×1.2であること。こんなサイズはサイクルショップでも売っていないし,ネット通販でも見あたらない。
 実際には1.5でも流用が効くと思われるので,困ったことにはならないだろうけれども,どうしてこういう独自のサイズを採用しているのかねぇ。

● ともかく,タイヤを買って交換しないと。今の状態では乗れないわけだから。チューブにパッチでツギをあてても,無効だと思われるんだから。
 ただ,トンカチで叩かないと前輪がはずれないだろうからな。億劫だね,気分的には。

2015.08.11 私家版「ツール・ド・栃木」 番外篇

● 宇都宮のカンセキ(ネオ・サイクリスタ)に行った。輪行袋を買うためだ。5,000円ほどした。それを持って矢板へ。
 ドッペル君を折りたたんで輪行袋に入れ,電車に乗って自宅に持ち帰った。初めてのこととて,輪行袋に入れるのにけっこう手間どってしまった。

● このとき思ったのは,輪行って大変なんだなってこと。もうひとつ。折りたたみだからといって,輪行が楽だってわけでもなさそうだってこと。
 ミニベロだったら前輪を外すだけで輪行袋に入ってしまうかもしれない。クイックリリースであれば,ササッと外せるわけだから,たいした手間でもない。

● どうも,ぼくのドッペル君は輪行向きとは言えないようだ。ドッペルの中では軽いタイプなんだけど,それでもこれを持って駅のホームを歩くのは,もうやりたくない。
 大枚をはたいて,もっと軽いタイプを買うべきなんでしょうね。本格的に輪行を楽しみたいなら。

● 理想とすれば,ランドナーで輪行できるように,自転車をバラすことに慣れることだ。それを手間だと思わないまでに慣れること。
 栃木県一周くらいなら,それなしでも何とでもなりそうだけれども,日本一周ともなればその程度の技術は持っていないと。
 で,ぼくもいつかは日本一周に挑戦したいと思っているので。

2015.08.10 私家版「ツール・ド・栃木」 5 大田原(黒羽)~那須~那須塩原~矢板~塩谷

● 5時に起きた。まず,やっておきたいことはパンクの修理だ。
 昨日は,烏山から先,何度も後輪に空気を入れながら,だましだましここまで来た。パッチがきちんと付いていなかったと思う。別の箇所が小さくパンクした可能性もある。
 ので,まず,パンクを修理したい。チューブを引っぱりだしたところ,昨日貼ったパッチはしっかり付いていた。どこか別のところが漏れている。
 となるとバケツに水を入れてどこが漏れているのか確認しないといけない。バケツを借りようと思ったけど,宿の人が誰もいない。

● 30分ほど空しく過ごしてから,借りることができた。結局,しっかり付いているパッチの縁から空気が漏れていた。
 いったん貼ったパッチを引き剥がして,小川のカンセキで買っておいたパッチをあてる。ダイソー製品とははっきり違う。扱いやすい。きっちり付いてくれるという安心感がある。
 気泡が出なくなったことを確認して,タイヤの中にチューブを押しこんだ。

● 宿の食堂で朝食。宿を経営していくうえで,一番大変なのは朝食の用意じゃないかと思う。業務用の漬け物や生卵,冷凍の鮭の切り身を仕込んでおいて,それを出すことになるのは仕方がない。
 暖かいごはんと味噌汁があるのだ。ぼく的には充分だった。

● オーナーの男性は,ゴルフや鮎釣りが好きらしい。オーナー主催コンペのポスターが貼ってあった。鮎の友釣りに来るお客さんもいるようだ。
 ひょっとしてオーナーは同好の士を募って,そういう遊びがしたくて,この宿を始めたのか。
 朝食付きで4,320円。ありがたい宿だった。

● 昨日はついに誰とも喋らなかった。「大人の遊びだ。本気でやんなきゃみっともないだろう」とメールをよこしたヤツはいたけれど。
 こんなことで,誰かに読んでもらえるような文章を書けるだろうか。

● ここまで来ると雲巌寺が多少は近くなる。那須に向かう前に,雲巌寺まで足を伸ばしてみるか。
 が,見送ることにした。今回はとりあえず栃木県を一周するけれども,その後,“栃木県秘境探検ツァー”をやってみたいと思っている。
 雲巌寺はそのときに馬頭の大山田からアクセスすることにする。

● というわけで,294号を北に。
 じつはこの道は一度,徒歩で通過している。もう12,3年も前のことだ。黒羽の明王寺を一番札所とする那須三十三所観音霊場というのがあって,これを歩いて廻ってやろうと考えたのだった。
 仕事や職場に厄介なものを抱えていると,そういうことを思いつく。で,実際に始めたものの,3分の1も廻ったところで中断し,ずっとそのままになっている。

● ともかく歩いているのだ。が,既視感はない。自分の足で歩いているのに,風景は記憶からとんでいる。歩いたということを憶えているだけだ。
 余笹川を渡り,黒川を渡って,「道の駅 東山道伊王野」に着いた。うーむ,この道の駅も歩きのときに来ているのだけど,まったく記憶がつながらない。初めて来たような気がする。
 ともあれ,今回はここが北端となる。
 
道の駅 東山道伊王野

● 伊王野って惹かれる地名だ。ひとつは文字の字面。もうひとつは言葉の響き。
 自販機でコーラとウーロン茶を買って,ベンチで休みながら,すっとここに座っていたいと思った。サドルに座るのはイヤだけど,このベンチならずっと座っていたい。
 泊まりで自転車ツァーに出るのは今回が初めてだ。2日目になると,ケツがサドルに乗るのをいやがるようなのだ。何度もサドルから離れたがるのだ。

● でも,それもじきに消えた。普通に乗れるようになった。老体ながら自転車に乗れる身体になってきているのかなと,少なからず嬉しかったりする。
 それと,パンクが完全に直ったことの安心感。心が安らかになりますな。

● 294号を少し戻って,県道黒磯棚倉線に入った。何度かのアップダウンを繰り返して,那須塩原市鍋掛を通過した。那珂川を渡った。那須塩原市も今回はこれだけ。いずれ同市をちゃんと走る機会があるだろう(と思いたい)。
 このドッペル君,前ブレーキがほとんど効かないので,急な下りはけっこう怖い。

● 再び黒羽に入ったようだ。トウモロコシ畑が広がって,酪農家が多いエリアを通過し,羽田地区を通る。自販機でカルピスソーダを身体に入れ,登っては降り,大田原市街に入った。
 サンクス浅香店で小休止。“ガツンとみかん”を2本食べてしまった。

● このあたりは問答無用で走り抜ける。那須学園を右手に見ながら峠を越えて,矢板市街に入る。セブンイレブン矢板中店で,お茶と念願のガリガリ君スイカにありつけた。
 よくぞここまで来たものだと,少々の感慨がある。先ほどまでは伊王野にいたんだもんな。

● 明治期の那須野が原開拓に功績のあった矢板武の記念館がある。ここに立ち寄る機会はこれまでに何度もあったんだけど,いつでも来れると思って,行かないまま今日になった。
 今回は寄っていくつもりでいた。が,月曜と火曜が休館日。となれば是非もない。先に進もう。

● 今,走っているのは国道461号。地図には日光北街道とも記されている。塩谷を横断して鬼怒川に至る道路だ。この道路を走って今市に至り,大谷川左岸を日光まで走って,細尾峠を越えて足尾に出る予定だ。
 ときどき,まったく車が来ない時間ができる。シンと静かになる。異次元ポケットに落ちたような気分になる(落ちたことはないけど)。

● ここでも登って降りを繰り返し,塩谷町田所に着く。セブンイレブンがあったので,ここでも氷菓と水を補給する。
 あたりまえだけれども,暑い。ただ,少し前までの重さを伴うような暑さではなくなっている。かすかに秋が混じりだしているように思われる。

● とはいえ。素足にサンダルで走っているんだけども,足の甲が日焼けしてヒリヒリ痛い。アホですな。普通はソックス+靴だよね。日焼け防止と安全と力の有効活用を考えれば,当然そうなる。
 ところが,そのいずれも考えていない。とにかく楽な格好を選んだんでした。だいたい真夏にソックスをはいて靴で足を覆うなんてねぇ。足がブヨブヨになりそうだぞ。

● ここまで快調に走ってきたが,バンッと大きな音がして後輪の空気が抜けた。イヤな予感。前にチューブをバーストさせたことがある。またかと思った。
 荒川が近くだったので,堤防の日陰のところで作業を開始。何かを踏んだらしかった。大きな裂け目ができていた。タイヤにも。
 携帯用のポンプで入れているんだから,暑さで膨張してタイヤがバーストするほどの空気が入るわけがなかったのだ。
荒川堤防でパンク修理

● 普通,こういうツーリングのときは,パッチでふさぐんじゃなくて,替えチューブを持っていってチューブを交換する。が,ドッペル君はクイックリリースではない。しかも,前輪を受けるフロントフォークにつけられた凹みの径が左右非対称で,一方はトンカチで叩いてやらないと入らなかった。
 前輪を外すときも同じだろう。素手で外せるとは思えない。となると,車輪の着脱を伴うチューブ交換は避けたいわけだ。あるいは,チューブと一緒にトンカチも持参するか。

● 昨日に続いて,パンクを修理しながらの大休止となった。何だかなぁ。
 穴をパッチでふさいで空気を入れてやると,とりあえず抜けることはなさそうだった。とにかく,走ることはできそうだ。進むか退くか。進むことにする。

● 道路沿いに中華料理屋があったので,入ってみた。ちょっと遅めの昼食だ。
 夜は飲み屋になるらしい。っていうか,夜がメインの店のようだ。オバチャンが3人でやっている。常連さんのお父さんが数人,ひょっとしたらビールなんぞを飲んでいるのか。ご機嫌でオバチャン相手にヨタを飛ばしていた。いいなぁ。
 って,おまえだって自転車に乗って好きなことをしてるんじゃないかと言われますな。

● ラーメンと半チャーハンのセット(650円)を注文。スイカ食べますかと,スイカのサービスも。ガリガリ君スイカは大好きなんだけど,本物のスイカを好んで食べることはない。が,こういうとき,断れる人はいないんじゃないか。
 いただけば,食べないわけにはいかない。生スイカを食べるのはひょっとして四半世紀ぶりだったかも。で,食べてみたらけっこう美味しい。スイカを食べないできたなんて,人生を損したとは思わなかったけど。

● 昨日の烏山駅前のうどん屋もそうだったし,「K」もそうだったし,ここもそうなんだけど,オバチャンはひっきりなしに喋っている。喋りながら仕事をする。喋りながら手は動いているのがすごい。
 マルチタスクができるんだな,女の人って。男はシングルタスクでしょ。喋るのと仕事するのを同時にこなすなんて想像もできない。
 だから,“喋っている=サボっている”という捉え方になる。それを女にも押しつけるというか,そういう評価軸を持ってしまう。でも,これ,基本的に間違いかもしれないよねぇ。

● スイカもご馳走になったので,千円札を出してお釣りは受け取らないつもりだった。ちょっとカッコつけてみようかな,と。
 でも,そうはさせてもらえなかった。

● また後輪の空気が抜けていた。やはり,と思った。そういう気はしなくもなかったんだよ。さすがに,引き返すことにした。「ツール・ド・栃木」はここで断念。
 先ほどの堤防まで自転車を押して歩いた。中華料理屋に入ったのはラッキーだった。あのまま走っていたら,どこまで行っていたことか。

● 別の箇所に穴が空いていた。パッチでふさいだんだけど,たぶん,走ればまた別のところが空くんだろう。とりあえず,これで矢板まで走ろう。矢板に置いて電車で帰ろう。明日,取りに来よう。
 幸い,矢板まではもってくれた。ファミマでガリガリ君ソーダとお茶で涼をとって,カインズホームを覗いた。カインズホームを出るときにはだいぶ後輪の空気があまくなっていた。

● 以前,行きつけにしていた飲み屋に寄った。「本気でやんなきゃみっともないだろう」とメールをくれた友人が付き合ってくれた。ほとんど唯一といっていい友人だ。
 けっこう飲んだ。自転車はここに置かせてもらった。

2015年8月17日月曜日

2015.08.09 私家版「ツール・ド・栃木」 4 那珂川(小川)~大田原(湯津上・黒羽)

● というわけで,那須官衙遺跡(国指定の遺跡である)は気がすんだ。が,この地はなにか立ち去りがたくさせるものがある。このまま294号に戻る気にはならなかった。
 奈良でいえば飛鳥のようなものか(行ったことはないんだけど)。穏やかな山並み(というか丘陵)に囲まれて,右手に箒川が流れる。南北に狭く,東西に長い平地だ。

● 先に走ってみることにする。大日堂があった。覗いてみる。覗いたところで,自分に何かがわかるとは思っていない。ここにとどまる理由が欲しかっただけだ。
 いわくありげな堂宇が3つ並んでいた。杉の大木が周りを囲んでいる。杉はだいぶ切られてしまったのだろうけどね。
大日堂



● いつまでもとどまっているわけにもいかないので,浄法寺橋で箒川を越えた。箒川を越えれば,そこは大田原市(旧湯津上村)ということになる。ここから笠石神社に出た。
 出るには出たんだけれども,ここはいったん294号に戻ってから笠石神社をめざしたほうがよかったようだ。山越えを余儀なくされたのでね。湯津上中学校まで登っていったん降り,もう一度登って降る(ほかの道もあったんだろうけど)。
 そろそろバテてきたんだろうか,けっこうシンドかった。

● さて,笠石神社。先の那須国造碑をご神体としている。頼めば本物を拝観できるらしかったが,それはパス。たぶん,ぼくがそれを観ても猫に小判を与えるようなものだろうから。
 こぶりな神社だ。神韻渺々たるという雰囲気はない。住宅地にある変哲のない神社という印象。294号沿いにあるわけだし。
 だけれども,ご神体がご神体だから,興味のある人たちがけっこう訪ねてくるのかもしれない。社務所もあった。
笠石神社

● 294号をずっと走ってくれば,上侍塚古墳,下侍塚古墳という有名な古墳にも立ち寄れたのだが,これは最初から行かない予定だった。
 古墳は素人が見てもただの大きめの築山以上には見えないだろうからね。

● さらに北に向かう。次の目的地は黒羽だ。
 崖の上の縁に294号があり,ぼくはそこを走っている。崖の下は水田になっていて,那珂川が流れている。その向こうに八溝山地の稜線が幾重にも連なっている。
 八溝山地だから急峻で高い山ではない。穏やかだ。そういうところを走る。

那須国造碑の碑文
● 黒羽の市街に入った。294号は那珂川の右岸側を走るが,黒羽の市街は那珂川の両岸にまたがる。
 ファミリーマートで水を買って飲んだ。ガリガリ君スイカも。セブンイレブン以外のコンビニにガリガリ君スイカがあったのは,今回が初めて。どうでもいいことではあるんだけど,ぼくはこれが好きなもので。

● 那珂川を渡って大雄寺に行ってみた。曹洞宗の道場であり,この地を治めた大関氏歴代の墓所がある。墓所はさすがに一等地にあった。
 本丸というか,道場の門を潜るのは憚られる。ぼくがヒョイヒョイと入ってはいけないところのような気がした。ので,外から見るだけにしておく。
大雄寺山門前

● 今日はここまで走ってきたけれど,まだまだ走れるような気がする。が,ここで泊まることにしよう。
 当然,宿の予約などはしていない。途中,何が起こるかわからないからだ。そもそも那珂川町で泊まる予定だったわけだし。文字どおり,予定は未定だ。

● 適当な民宿はないかと思って,市街地を走ってみた。大雄寺の存在が大きいのかもしれないけれど,黒羽はただ者ではないと思えた。歴史の厚みのようなものを宿しているというか。
 もちろん,明治以後,この辺の中心地は西にずれた。時代に取り残された。あるいは当時のここの住民が時代を西に押しやってしまった。
 ではあっても,何かが蓄積している。そういう凄みがある。ように思われた。

● で,宿である。「花月」以外には見つけることができなかった。「花月」はぼくが泊まるホテルじゃないと思う。
 で,ネットで「ペンション泉」というのを見つけて電話したら,今からだと夕食は出せないけれども,泊まることはできるとのことだった。やれやれ,野宿しなくてすんだ。

● スマホの地図で場所を確認して,自転車を走らせたけれども,ここでもしなくてもすむ峠越えをしてしまった。どっちから行っても距離はたいして変わらないようだったので,ではこちらからと思ったのが,山越えを伴うものだったんですな。

● 夕食が出ないというので,再びファミリーマートに寄って,酒と肴を購入。昼食を二度食べているので,腹はあまり空いていない。それだけで充分だ。
 高校生が団体で泊まっていた。ここで合宿しているのかもしれない。

● それでも部屋には冷房が効いているし,ぼくにはそれで充分だった。
 今日はずいぶん走ったように思える。のだが。“My Tracks”によると,トータルで107㎞にしかなっていなかった。ぼくの距離感は大幅な修正が必要なようだ。

2015年8月14日金曜日

2015.08.09 私家版「ツール・ド・栃木」 3 那須烏山~那珂川(小川)

● 294号をしばらく上ると,茂木町から那須烏山市に入る。今までコツコツと貯めてきた位置エネルギーを一気に放出するように,下っていく。
 位置エネルギーがゼロになったところが荒川の橋。このあたりは向田と申しあげる。

● 荒川はこの先で那珂川に合流するんだけど,その手前で江川が荒川に注いでいる。江川からすればそこが下流端。
 10年ほど前になるけれども,江川を下流端から上流端まで歩いてやろうと思って,2日がかりで実行したことがある。上流端は矢板市の山田という集落にあった。
 なんであんな酔狂なことを思いついたのか。思いつくだけじゃなく実行しちゃったのか。この説明は長くなるし,あまり面白くもないので,ここでは省略。

● ここからまたコツコツと位置エネルギーを貯めていく。野上を過ぎて,烏山の市街に入る。

● 『栃木県の歴史』によれば,元禄年間には「紙や煙草の集散地となった烏山町には,江戸紙問屋六,紙商三,紙荷才料六,紙売買宿七,紙漉たかさし職二,楮売買宿三,煙草売買宿一五が集中していた」(p214)という。
 じつは,ぼくは烏山の近くで生まれ育ったものだ。半世紀前の烏山を知っている。当時は,その残り香がかすかにでもあったと思う。

● 烏山は町だった。賑わいと華やかさがあった。「ひらぶ」に行けば洋服は何でもあり,靴は「なべや」で買うのがステイタスだった。これ,「なべや」で買ったんだぜ。
 文房具は「マルマス」が憧れだった。小学生のとき,父親が算数で使うコンパスを「マルマス」で買ってきてくれたことがあった。コンパスももちろん嬉しかったけど,「マルマス」の包装紙をぼくは捨てることができず,しばらく持っていたはずだ。

● 仲町の角には関谷精肉店があった。ここでコロッケを1個買って,バスを待つ間に食べる。世の中にこんなに旨いものがあるのかと思った。
 その対面には「おたま」という化粧品店があった。もちろん,ぼくらが入れるところじゃなかった。そこに出入りするお姉さんたちを見やりながら,なんか見てはいけないものを見てるみたいにドキドキしていた。

● 「ひらぶ」にしても「なべや」にしても「マルマス」にしても,今の目線で見れば零細店だったろう。あの頃はモノが貴重で,モノを買うことじたいがめったにない晴れがましいことだったから,それだけでワクワク感を味わえたけれども,今では通用しない商売の仕方をしていたかもしれない。
 烏山にも「しまむら」があるけど,「ひらぶ」よりも「しまむら」のほうが,お客に提供している付加価値ははるかに大きいだろう。

● ではあるんだけれども,あの頃の烏山には輝きがあった。
 夜,宮境橋を車で通ると,那珂川に屋形船が浮かんでいた。なにやら楽しげな怪しげな空気が伝わってきた。あの中で誰が何をしているんだろう。子どもにもある程度想像はできたけれども,それを親に訊くのは憚られるような気がして,ぼくは黙っていた。
 大人になったら自分もああいうことをしてみたいなぁと思ったかどうかは定かでない。

● 一度,那珂川の対岸から烏山の町を見たことがある。夜だった。きれいな夜景だった。光が密集していた。
 江戸時代には,対岸側は水戸藩の領地だったらしい。徳川様の御料地。水戸藩の辺境,どんづまり。そこに住む農民も毎晩,烏山藩の御城下を眺めたことだろう。異界がそこにあると思ったことだろうな。

● 烏山にはかつて遊郭もあった。元々は旭にあったのが,烏山駅近くに移転し,そこは新地と呼ばれた。行人社という印刷所があって(今も健在のようだ),そのあたりの経緯をまとめた冊子を出している。
 当時,ぼくは中学生だったか高校生だったか。その冊子をわざわざ買いにいった。今も,書庫を探せばあるはずだ(捨てた記憶はないから)。

● その新地を走ってみた。当時の面影は残していない。普通の住宅地になっている。
 それから幾星霜もあったわけなので,あたりまえといえばあたりまえだ。唯一,「福田川」という寿司屋の建物が,当時の様子を伝えているだろうか。

● さて,昔語りは以上にして,現在の烏山はどうか。時代を味方につけることができなかった。静かに縮小への道を歩んでいるように思われる。
 しかし,それは生産とか経済とかそういう観点からの話であって,車とインターネットが普及した現在では,逆転の発想的な考え方もできるかもしれない。ひょっとすると,烏山は新しい魅力を涵養しつつあるのかもしれない。

● 駅前に立ち食い蕎麦の店がある。正確にいうと,テーブル席もあるんだけどね。で,ここはうどんがお勧めでありますよ。
 ここで昼食としよう。「山あげそば JRバス関東」と看板に書かれているから,オーナーはJRバス関東なのかもしれないけど,おばちゃんが2人で切り盛りしている。カレーうどんを食べた。450円。
 冷たい水も3杯ほど飲ませてもらって,ひと息もふた息もつくことができた。

● ここで異変。こぎだしたら後輪の空気があまくなっているのだった。パンクか。日のあたらないところで,しかも水が使えるところで修理したい。
 市役所か県の南那須庁舎だったら,外側に水道があるんじゃないか。申しわけないけれども,無断使用できないだろうか。

● 思いだした。南那須庁舎の近くに「K」という焼きそば屋があるのだった。ここの焼きそば,麺が独特。いや,自家製麺ではない(と思う)ので,完全に独特というわけでもないのだろうが,蒸していないっていうか,歯ごたえのある麺なのだ。
 では,その焼きそばを食べて,南那須庁舎の敷地の隅をお借りして,パンクを修理するとしよう。

● 「K」の焼きそば,以前より盛りが少なくなったような気がした。けど,前からこんなものだったのかもしれない。前回来たのは憶えてないほど昔のことだから。
 パンク修理キットは持ってきている。が,パッチが残り1枚しかない。ていねいに貼らないとな。と思いながら,パッチをあてた。
 このパンク修理が大休止となった。ちょうどいいと思えば思えなくもない。

● これでパッチがなくなってしまった。どこかで補充しておかないと。烏山にも百円ショップがある。ので,そこに行ってみたんだけど,パンク修理用のパッチは置いていないようだった。
 ところで。自転車用品はパンク修理に限らず,まず百均に目が向いてしまう。前照灯も油もダイソーですませている。今まで極安の自転車にしか乗ってこなかったから,百均製品を使うのに何の後ろめたさ(?)も感じないできた。
 だけど,どうもダイソーのパッチは百均クオリティーという気もするね。ここはちょっとおごったほうがいいのかもね。

● 気を取り直して,さらに北上することとする。滝田を過ぎ,中山を過ぎ,谷浅見と進んでいく。谷浅見にSAVE ONがあったので,給水休憩。ロッテのスイカバーで身体を冷やしてやる。
 さらに大桶,白久を過ぎ,那珂川町(旧小川町)に入る。

● 並木という集落がある。昔,ここに古本屋があったことを思いだした。30年以上も前のことだけども,高見順の全集を安く買えた。ただし,今に至るまで一行も読んでいない。
 セブンイレブンが目に入った。ここでも休憩。ガリガリ君スイカとウーロン茶を補給。

● 小川の市街に入ったところで,再び,後輪の空気が抜けてきた。パッチがうまく付かなかったらしい。とりあえず,携帯してきた空気入れで空気をいれてやる。
 以後,たびたびその作業を繰り返すことになった。だんだん,空気を入れなければならない間隔が縮んでくる。

● 幸い(っていうか,知ってたわけだけど),294号沿いにカンセキ小川店がある。そこでパッチとゴム糊を買った。併せて712円。これくらいですむんだから,(自転車用品に関しては)百均から卒業しようかなと思いましたよ。実際,あとで使ってみたところ,品質がぜんぜん違ったからね。
 ここでもサイダーを飲んで,さらに北へ。

● 小川では見ておきたいところがあった。那須官衙遺跡だ。『栃木県の歴史』によると「最初に下野の地でつくられた寺院は浄法寺廃寺である」(p51)らしい。
 その近くにあるのが那須官衙遺跡で,築造されたのは奈良時代とされているようだ。このあたりには有名な侍塚古墳もあり,那須国造碑が伝わるところだ。

● かつてはこの一帯の中心地であったに違いない。新羅人が集団で渡来して開拓,定住した,とされる。
 那須国造碑の碑文を書いたのも渡来人だろう。碑文は「那須直葦提の事績を息子の意志麻呂らが顕彰する」ものであるようだ(ぼくにはまったく読めないのだが)。
 このあたりを解説した昔の本の中には,直葦提は土着の人で,彼が渡来人たちをよく統率したと受け取れる内容のものもあった。けれども,そんなことはあり得るはずもなく,彼もまた渡来人で,渡来する前から彼らの棟梁だったからこそ,彼らをまとめることができたのだと考えるほうが自然というものだ。

● その渡来人の子孫はもうこの辺にはいないと思う。住民は入れ替わっているはずだ。あるいは,溶けてしまっているはずだ。
 昔,小川町の長老(土地改良区の理事長を務めていた人)に訊いたことがある。浄法寺のあたりには古い家系の人が残っていると聞いたことがあるが,とおっしゃっていた。
 とはいえ,奈良時代まで遡るほど古い家系は残っていないと想像する。天皇家をほとんど唯一の例外として,そんなものは他にないだろう。

● ちなみに,明治維新前後に,那須郡の南部には新潟や富山から相当な数の移住者があったようだ。ちょっとした民族移動だったのではないか。
 それ以前にもそういった波があったはずだ。明治以前の日本は封建制に縛られて,人は生まれた土地から離れることができなかったと考えるのは,おそらく間違いだ。

● というわけで,那須官衙遺跡だ。294号を左に曲がるんだけど,行き過ぎてしまったようだ。ちょっと遠回りした。
 曲がり角にくると案内板が行き先を表示してくれるので,最初に行き過ぎたことを除けば,迷うことなくたどり着ける。

● 来てみれば,目に入るのは原っぱだ。畑に囲まれた原っぱ。ここから往事の郡衙を想像の中で復元できる人はいないだろう。いや,専門家はできるのか。
 たぶん,畑になっているところにも郡衙の建物はあったのだろうな。原っぱだけだとすると,少々以上にささやかすぎると思えるので。

● 近くに資料館もあるので,そこに行けば復元予想図もあるのかもしれない。しかし,気になっていた遺跡を見て,気がすんでしまった。それ以上の探究心は残っていなかった。
まさに跡。看板に偽りなし。

2015.08.09 私家版「ツール・ド・栃木」 2 高根沢~芳賀~真岡~益子~市貝~茂木

● 6時半に出発。犬を散歩させていたり,自分ひとりでウォーキングに精を出ている人がいる。
 このあたりは田んぼが地域面積の大半を占める米どころだ。暑くなる前にひと仕事終えたいわけだろう。朝から農作業をしているお父さんが何人もいる。雑草を処理したり,農薬をまいたり。
 上高根沢では,道路掃除を大勢でやっていた。地元の自治会のボランティアだね。ぼくもたまにかり出される。

● 県道石末真岡線を順調に走り(何と言っても,この時間帯,車があまり走っていないのでね),芳賀町に入った。
 「としのや」という昔はよろずやだったと思われるお店のところを左折する。まもなく五行川の金井橋に至る。ここからサイクリングロードに入る。
 サイクリングロードじたいは,もっと上流の一切行橋から始まるんだけど,舗装状態があまりよろしくない。金井橋から入るのがいいと思う。
金井橋からサイクリングロードに入る

● ロードバイクで上流側に向けて疾走するライダーがいた。レーパンで決めている。あっという間に背中が小さくなった。
 こういう人を見ると,凄いなぁと思う。ぼくなんか,半袖のTシャツに短パン,サンダル履きだからね。
 ぼくがやろうとしているのは,距離の長いポタリングだ。

● 私家版「ツール・ド・栃木」を敢行するにあたって,ひとつだけ自分に言い聞かせようと思っているのは,急ぐなってことだ。少なくとも,急ぎ過ぎないこと。距離を稼ぐだけが能じゃないぞ,と。
 ぼくの体力ではスピードは出せない。その分,できるだけ乗り続けて少しでも遠くまで行きたいなんぞと思いがちだ。放っておくとそうなる。
 だから,効率よく近道を通ってなどとさもしいことを考えないように,言い聞かせておく必要があるのだ。

● 「道の駅はが」で最初の休憩。フリーマーケットっぽい業者の展示即売会のようなものが開かれていた。まだ,準備中といったところ。
 自販機で麦茶を買って,水分補給。昼に向かって本格的に暑くなれば,自販機を見かけるたびに自転車を止めて,何か飲むことになるだろう。
道の駅はが


● サイクリングロードも真岡市に入った。両国橋から五行川を離れることにする。真岡にはちょっと入っただけなんだけど,益子方面にハンドルを向けた。
 細い道を入っていく。生活道路というか農道というか。車の通行量が少ない道路のほうが楽に走れる。
 そうした道はまた,自転車だからこそ走る気になる。車を運転しているんだったら,センターラインが引かれている道路のほうがいい。
 しばらく走ると県道に出る。が,また細い道に入っていく。それをやっているとたいてい遠回りになるんだけど,急がないとはそういうことだ。
古墳? ではないんだろうなぁ


● 方向感覚があまりいいほうではないので(ありていにいうと,かなり悪いので),そのうちに現在地がどこなのか不安になってくる。
 “MyTracks”でログをとっているので,スマホを取りだせばすむ話ではある。が,それが面倒なんだよね。おおよその方向は間違っていないはずだから,このまま行けってことになる。

● やっと益子町に入った。塙地区。ファミリーマートがあったので,ここで休憩。
 朝食を食べていなかったので,納豆巻きをひとつ買って腹に入れた。あと,ペットボトルのお茶とガリガリ君(コーヒーオレ)で身体を冷やすことにする。

● 少し走ると真岡鐵道の益子駅に至る。ここでまた休憩した。
 益子といえば何をおいても陶芸の里だ。濱田庄司である。陶芸美術館もある。が,ぼくは美術というものと相性が悪い。絵画であれ彫刻であれ陶磁器であれ,モノに化体された美というものがわからない。
 ちょっと距離はあるけれども,大羽地区まで足をのばせば,綱神社や地蔵院がある。綱神社は小体だけれども,姿のいい神社だ。つまり,すでに見たことがあるわけで,今回はこちらもパス。
益子駅

● 行ってみたいラーメン屋もあった。包丁を使わないで麺を打ちだすという店で,味はといえば只今のラーメン界の流行からは外れているかもしれない。
 が,ホッとする味で,ぼくは気に入っている。飽きない味といいますか。でも,まだ9時だ。さすがに開いていない。

● というわけで,このまま市貝町に向かうことにする。
 小貝川の堤防を走る。とても快適に走れるけれども,川っていうのはどの川でもだいたい似たような風景になるわけで,その意味では面白みに欠けるかもしれない。
 ただ,川にはそれそのものの魅力があるでしょ。じっと川を見ていると,何時間でも見てられるような。

● 小貝川は那須烏山市曲畑の小貝ヶ池を水源とし,茨城県筑西市で五行川を併呑し,鬼怒川に合流し,ついには利根川となって太平洋に注ぐ,栃木県を代表する大河である(ウソ)。
 一度,上流端から鬼怒川との合流点まで走破してみたいと思っているんだけど,まだ果たしていない。老後の楽しみのひとつだ。

● 大河の堤防を走って七井の宿に着く。ここからは県道黒田市塙真岡線を起点の黒田まで北上する。市塙まではほぼ真岡鐵道に沿うことになる。
 市貝町に入って最初の宿は多田羅というところ。SL展望台なるものがあった。真岡鐵道が走らせているSLを見るためのものだということはわかるんだけど,長らく使われた形跡はないように思われた。

● 展望台を過ぎると,まもなく県道は左にカーブし,真岡鐵道は右に消えていく。ここからまた大河の堤防を走る。ちょっとだけ走ると県道に合流。あとは県道をひたすら行く。
 ここでは横道に逸れてみるという選択肢はない。ほぼ一本道だから。
SL展望台から真岡鐵道の線路を眺める


● 市貝町役場を過ぎてると,立派な道路を横切る。県道宇都宮茂木線のバイパスだ。スピードを出したくなる道路だ。
芳賀秩父観音霊場ってなに?
 こういう道路ができてしまうと,市貝も茂木もストロー現象に悩まされることになる。宇都宮が近くなるんだから,どんどん宇都宮に出てしまう。地元の商店は寂れる一方だ。
 誰が考えたってわかる道理だけれども,わかっていてもなお道路は欲しい。その気持ちは田舎人としてぼくにも理解できるものだ。
 地元の商店だけで用を足せと言われたって,無理な相談だもん。勉強のできる中学生は宇都宮の進学校に行きたいだろうし,病院だって地元ですむかといったらなかなか難しいだろう。何といっても,働く場を求める必要があるんだから。
 公共交通機関は1日数往復のバスだけなんだから,車は生活必需品だ。

● 杉山,続谷といった集落を眺めて,ただ走る。ほぼ,市貝町を縦断したことになるだろうか。
 続谷にあった自販機でコーラを飲んだ。つり銭の返却レバーの下のくぼみでアマガエルが休んでいた。朝は涼しかったんだけど,だいぶ暑くなってきている。そこは涼しいのだろうな。

● さて,県道黒田市塙真岡線の起点に着いた。ここで国道294号に合流する。ここからは294号を那須町伊王野まで走ることにしているんだけど,とりあえず,ここは茂木町黒田である。
 茂木町の市街に出るには右折して南下しなければならない。どうする? どうするっていったって,左に曲がって烏山に向かうことに決めていた。
 茂木にも走ってみたいところはあるけれども,それは「ツール・ド・栃木」とは別に機会を設けることにしたい。

2015年8月12日水曜日

2015.08.09 私家版「ツール・ド・栃木」 1

● 自転車で世界一周するのが夢だ。が,いきなり世界一周に出るわけにもいくまい。いろいろ,準備が要る。少なくとも,日本一周は経験しておいたほうがいいだろう。
 その日本一周も,じゃあ明日からというわけにはいくまい。その前に地元県を一周しておいたほうがいいのではないか。

● で,栃木県一周くらいなら何の準備もなしにすっと出かけられるだろう。勝手知ったるところだし。ペダルこいでりゃ何とかなるだろ。
 というわけで,本日の午前6時半。その栃木県一周の旅に出立した。
 じつは,昨日(8日)出発する予定でいたんだけど,7日の夜にパンクしたり,まぁ家庭の事情というのもあって,今日にずれこんだ。

● 4泊5日の予定だ。県内のすべての市町村に足を踏み入れることを唯一のルールにする(村はないけど)。かすめるだけでもいいことにする。
 一応,次のような予定を立てている。
 1日目:高根沢町→芳賀町→真岡市→益子町→市貝町→茂木町→那須烏山市→那珂川町
 2日目:那珂川町→大田原市→那須町→那須塩原市→矢板市
 3日目:矢板市→塩谷町→日光市→足利市(いったん桐生に出る)
 4日目:足利市→佐野市→栃木市→野木町→小山市→下野市→上三川町
 5日目:上三川町→壬生町→鹿沼市→宇都宮市→さくら市→高根沢町

● たんに自転車で走るだけなら,5日はかからないだろう。でも,せっかく自転車で一周するんだから,ところどころで観光もしようかと考えた。
 基本,名所旧跡にはあまり興味はないんだけれど,とはいっても観光を毛嫌いしても仕方がない。

● で,どこに立ち寄るか。それを決めるために『栃木県の歴史』(山川出版)を一読した。そこで興味を惹かれたところに行ってみよう,と。
 いくつかピックアップした。全部立ち寄ったのでは,逆に5日間では足りなくなりそうだ。そこは固く決めないでおいて,適当に按配するつもりだ。

● 集団の中に入るのは苦痛なので,誰かを誘って行こうなどという発想は端からないし,そもそもぼくには友人がいない。
 誘うとすれば受験生(浪人中)の豚児くらいのものだ。が,5日間はさすがにきついだろう,おれはいいよ,と遠慮してきた。
 ので,単独で気楽に走れることになった。止まりたいときに止まり,休みたいときに休む。右にするか左にするか,進むか退くか,自由自在ということになる。

● カバン(ユニクロで買ったメッセンジャーバッグを使用中)に詰めたのは以下のごとし。
 Tシャツ,パンツなど日数分
 携帯用の空気入れ
 パンク修理キット(予備チューブは手当していない。自転車が届いて間がなかったので,と言い訳)
 スマートフォン
 スマホの充電器2つ(普通の充電器と乾電池使用の充電器)
 乾電池の充電器
 メモ帳とボールペン
 財布
 新生銀行のキャッシュカード

 工具一式は自転車に積んである。
 
● ともかく。まずは,かつて自転車通勤していた真岡をめざす。五行川サイクリングロードを走るのも久しぶり。

2015.08.08 パンク

● 7日の職場からの帰り。ペダルをひと漕ぎした瞬間,前輪から空気が抜けていった。踏んではいけないものを踏んでしまったらしい。
 ドッペル君に乗り始めて3日目。それでパンクとは少々早い気もするけれども,するときにはするものだから,仕方がない。

● で,電車で帰り,車でドッペル君を取りに行った。
 翌朝,パンクを修理。機材(?)はダイソーで買ったパンク修理キット。しかも古いものだったようで,付きがよろしくない。
 新しいのを買ってきて修理した。新しくても,円形のパッチより楕円のほうがいいようだ。

● こうして手をかけると,愛着が出てくるのはたしか。自転車がだんだん自分のものになってくる感じがする。
 とはいえ,パンクなんかはしないほうがいいことは言うまでもないわけだけど。

2015年8月7日金曜日

2015.08.07 4台目の自転車で自転車通勤

● 自転車に乗るようになったのは2010年の6月。途中,ブランクがあって,ずっと自転車に乗り続けていたわけではない。
 最近,4台目になる自転車を買った。6年間で4台。2台目はほとんど,3台目はまったく乗らないで廃車(?)になった。

● いずれも,ヤフオクで安物を買っている。4台あわせて87,000円程度。普通にショップで買えば1台分の値段にしかならないけれども,“安物買いの銭失い”は自転車に関してはまだ成立しているのかなと思う。
 実質的には1台目にずっと乗っていたので,1台目の自転車に対してはけっこう愛着がある。パソコンでも筆記具でもそうだけれども,使いこめば自ずと愛着はわいてくるわけで。

● 4台目の自転車は3万円で購入。20インチタイヤのドッペルギャンガーのフォールディング。1台目も20インチのミニベロだった。
 ミニベロが好きだというわけではない。2台目,3台目は700Cだった。が,これが不幸な廻り合わせだったので。

● ある程度長い時間乗っているためには,ハンドルが大事だ。ドロップハンドルが一番だ。持つ位置を変えることができる。これはかなり大きい。
 2台目はフラットハンドルだったんだけど,2時間も乗っていると握力が落ちるのが自分でもわかった。

● 1台目はドロップだった。が,今回はブルホーンバー。
 折りたたみ式なので,ドロップは折りたたむときに邪魔になりそうだと思ったのと,そもそも折りたたみ式だとドロップはそんなに(ヤフオクに)出ていなかったのが理由。
 で,ブルホーンバー,かなり使えるという印象。

● ミニベロに乗るくらいだから,スピードは求めていない。求めるだけの体力も持ちあわせていない。時速30キロで走ろうなどと考えていない。
 でも,この自転車でどこにでも行きたい。何種類かの自転車を使い分けるのではなくて,何をするんでもこの1台ですませたい。
 何せ,世の中には折りたたみ式の自転車で世界一周をしている猛者もいるくらいなんだから。

● 1台目は車輪はクイックリリースで着脱できたのに対して,今度のはそうじゃない。レンチで締める方式。
 しかし,重量は今度のほうが軽い。軽いことの魅力はあるようだ。なんというか,乗っていて楽しい。

2015年8月5日水曜日

2015.08.05 ドッペル君 2

● ドッペル君,君の前輪が入らないので,ダイソーでトンカチを買ってきたよ。それを使って,叩いて入れようと思って。
 で,うまくいった。やれやれだ。でも,痛かったろうね,ドッペル君。ごめんよ。

● が,これから先が思いやられるね。当然,君はパンクもするだろう。そのとき,前輪がうまく外れてくれるかどうか。付けたままでパンク修理ができないわけではないけどね。

● 前輪が入ったので,今度はいったんオープンにした君の前ブレーキを元に戻す作業をしたよ。ブレーキケーブルをストッパーに引っかけるんだよね。
 ところが,君のブレーキケーブルはストッパーに届いてくれないんだよ。ブレーキのフレームを中央に寄せてってあるんだけど,そうしても届かないんだよ。

● もっと力を入れなければいけないのかねぇ。グッと力を入れてみるよ。おっ,何とか届いたよ。
 でも,今度はブレーキが効きっぱなしになってしまうんだよ,ドッペル君。君を動かすためにはどうすればいいんだろうねぇ。
 ブレーキケーブルを弛めるしかないのかねぇ。で,弛めてみたよ。難しいねぇ,この調整はね。片効きになるか,他方がリムにくっつきっぱなしになるかになるんだねぇ。

● 結局,後者を避けるためにブレーキが効かなくなるほうを選択してしまったよ。こんなんじゃ走りたくないよねぇ,ドッペル君。
 ここはぼくにもう少し,知識と技術があればよかったねぇ。

● 後のブレーキもクリアランスは少しアンバランスなんだけど,これは何とかなりそうだよ。
 ハンドルとサドルとペダルを装着したよ。この状態で君を走らせてみた。申しわけないねぇ。何せ,君の前ブレーキは効かないんだからね。

● でも,それで自転車通勤に付き合ってもらったね。ぼくに知識と技術が溜まって,君のブレーキを直せたら,一緒にメロンソーダでも飲もうよ,ドッペル君。ぼくがおごるよ。