2010年7月31日土曜日

2010.07.31 「鬼怒川大規模自転車道」を走る

● 7月31日(土)は4号線に架かっている鬼怒川の橋を渡って,鬼怒川の右岸堤防を行けるところまで行ってみようと思って,ペダルを漕ぎだした。
 しばらくは河川敷の石だらけの道を走らなければならない。堤防らしきものもない。すぐ下流に頭首工があって,そのあたりから堤防が現れる。そのちょっと先に堤防に上がる道があって,上がってみると堤防は舗装されていた。「河川管理用通路」とのことである。一般車両の通行は遠慮してくれ,と。しかし,事実上のサイクリングロードですね,これは。非常に快適。


頭首工が見える

● 4号線に架かる橋の次は柳田大橋かと思っていたら,板戸大橋ってのがあるんですね。そこを交差すると,舗装堤防が途切れてしまった。一般道を迂回するしかない。採石場がある。大型トラックが通る。しかし,地方では公共事業がどんどん縮小している。そういうことを知って見るせいか,心なしか寂しげな風景に移る。
 一般道に出ると自販機で水分補給ができる。ペットボトルの水を飲んで,再び堤防に上がるとまた管理用通路になっていた。
 まもなく柳田大橋。

● 柳田大橋を渡ると,「二宮宇都宮自転車道」の標識が立っている。大規模自転車道。堤防が県道になっているわけだ。管理用道路の隣にサイクリングロードが並行している。
 走ってみれば五行川サイクリングロードとさほど変わらない。が,大きく違うところがひとつだけあった。一般道と交差する頻度が圧倒的に少ないのだ。鬼怒川を渡る一般道が少ないのだ。だから,ブレーキを使わなくてすむわけで,これがことのほか快適度をあげてくれますね。
 これほどの川に橋を架けるのは大変な工事になるだろうし,架橋の許可も厳しいのかもしれない。

● 逆にいうと,鬼怒川を渡る道路は例外なしに交通量が多い。なかなか渡れない。そこで,自転車は道路の下を潜れるようになっている。っていうか,いちいち車を停めるわけにはいかないから,自転車は道路の下を潜らせるような構造にしている。
 いったん堤防から降りて道路を潜ってまた登るということになるわけです。でも,一般道とは交差しなくてすむわけですね。

● 川沿いには2種類の施設がある。堤防の外側(堤内地というんですね。堤防によって守られているエリアなので,堤内地。川を悪者扱いしていますよね。治水上の観点ではそうなるんでしょうけどね)には迷惑施設的なもの。先の採石場もそうだけれど,神明畜産の飼育場があった。当然,臭いがきつい。
 堤防の内側(堤外地)にはレジャー施設。キャンプ場がいくつもある。あるいは公園。モーターボートを楽しめる貯水場になっているエリアもある。特に多いのはキャンプ場ですね。
 車でやってきてバーベキューをしている家族連れや若者たちのグループで賑わっていた。カジュアルにアウトドアライフを楽しめる。あるいは,アウトドアライフの疑似体験ができる。

● ぼくは自転車を漕ぎだす6月末までは(大甘にみて,散歩を日課に採り入れるようになった平成17年4月までは)アウトドアなんて言葉とは縁がない生活をしていたので,こうしたことにはまったく気づかなかったのだけれども,こうしたことを楽しむ人ってけっこういるんだねぇ。

● どこかで引き返さないといけないんだけど,下流に向かって走っているわけだから,すこぶる快適でね,なかなか引き返す決心がつかなかった。どうせなら,この大規模自転車道を最後まで乗り通したいとのささやかな欲望もある。
 結局,旧二宮町の砂ヶ原橋で引き返すことになった。ここから右に折れれば自治医大に至る。さほどの距離はない。左に折れれば旧二宮町市街。ぼくは左に折れて,294号バイパスを通って真岡に出た(砂ヶ原橋を渡って気がついたのだが,左岸にもサイクリングロードが設置されていた。大規模の所以はこれかもしれませんね)。
 コンビニでアイスクリームを買った。市内の電気店を覗いた。あとはいつも通っている五行川サイクリングロードで帰ってきた。

● 一般道で車が切れるのを待って,ぼくと同時に出発した自転車があっという間にぼくを置き去りにして去っていった。高校生だったと思う。ぼくと同じ小径の自転車だった。
 だから,これは,自転車の違いではなく,たんに脚力の違いによる。ぼくには追いすがる余力は残っていなかった。

● 「道の駅はが」でも何やらイベントが行われていたようで,親子連れや小中学生のグループで賑わっていた。貧乏人はこういうところで余暇を楽しむのだなどというヤツがいたら(かつてのぼく),引っぱたいてやりたい。最低でも,貧乏で何が悪い,と言ってやりたい。楽しみ方なんか人それぞれだ。
 金のあるやつは一流ホテルのプールで過ごすがよい。あるいは,ディズニーランドで熱中症にでもなっていろ。もっと金のあるやつはワイキキのビーチでボーッとしてるがよい。金をかけて遊ぶのは能なしのすることだ。

● 道の駅の賑わいから受けた印象は健全さってことだ。地元の人たちが集まって,地元の人たちが地元の人たちを楽しませる,その見返りにいくばくかのお金を渡す。楽しみ方の原点ってのはこのあたりかもしれない。
 どんな状況でもひとりで遊べることは基本だ。そのうえで,大勢でワイワイ楽しむのもできた方がいい(ぼくの苦手なところ)。道の駅にたむろっている人たちはそれができている。遊びの達人ではないか。

● いつか,鬼怒川大規模自転車道の残りを乗っておきたい。そんなに先のことにはしたくない。
 砂ヶ原橋の下流で田川が合流する。田川にもサイクリングロードが設置されている。田川経由で帰るのもいいですな。

2010年7月30日金曜日

2010.07.30 要らない自転車をくれる人はいないかな

● ララスクエア5階の新星堂に行くと,自転車関係の雑誌をまとめて平積みにしてあるコーナーがある。ここ数年で自転車愛好者がかなりの勢いで増え続けているらしい。特に,2年前,ガソリン価格が高騰したときには車から自転車に移行した人が多かったようだ。
 でも,スポーツバイクを買って自転車通勤や休日ツーリングを始めても,その9割以上は1年以内に自転車に乗らなくなるというデータもあるんだそうだ。逆に言えば,1年間継続した1割近くの人たちはその後もずっと自転車に乗り続けるだろう。毎年,そうした人たちが積みあがっていけば,累計の自転車人口はどんどん増えていくわけだ。

● ぼくが気になるのは,乗らなくなった人たちの自転車はどうなっているんだろうってこと。死蔵されているのか,ゴミとして埋めたてられていくのか。ぼくにくれるっていう人はいないかねぇ。

● ところで。
 自転車は動くコンサートホールにはならない。自転車で通勤することはイコール,音楽を聴きながらの通勤を捨てることだ。自宅で音楽を聴く時間もじつは減っている。
 今までも音楽を聴くことに集中するのではなく,BGMのように鳴らしていただけなんだけど,それすらしなくなっている。なぜかといえば,夕食を食べるとすぐに眠くなってしまうからだ。パソコンを立ちあげない日もある。

2010年7月29日木曜日

2010.07.29 70歳の爺さまのスピードについていけない

● 28日も自転車通勤。新記録の3日連続。

● この日は往路でちょっとショッキングな出来事に遭遇した。こちらに向かってくる自転車があった。ちょうど一般道と交差するところで,その自転車は折り返していった。年の頃70歳とお見受けした。邪魔だから抜いてしまおうかと思ったんだけど,抜くどころかどんどん離されて,ついには見えなくなった。
 ペダルの回転はこちらの方が速い。爺さまが5回転する間にこちらは6回転している感じ。ところが,こちらの自転車の車輪が小さいからね。20インチのミニベロだから。そもそもスピード勝負をしてはいけない自転車だし,高根沢-真岡ほどの距離を運転するには向かない自転車でもあるのだろう。そのことをあらためて思い知らされた。
 っていうか,自転車のせいにしておきたい。

 ヨメもぼくの自転車を見て,こんなに小さな車輪で50キロ以上も乗っては体を壊してしまう,これは私が乗るから,車輪の大きい自転車を買いなさい,と言ってくれている。
 ありがたい。いい奥さんだな(→しかし,こんなことを言ったのは,後にも先にもこの一回だけ)。

● スピードにこだわるつもりはない。それこそ,年寄りの冷や水になってしまう。快適に走行できればそれでいいとしなきゃ。
 のだけれども,70歳を過ぎていると思われる爺さまに離されるのはちょっと面白くない。

● ところで,この日は見たいテレビ番組が2つあったにもかかわらず,夕食後に横になって寝てしまった。ヨメが起こしてくれたんだけど,とても起きあがる気力はなく,そのまま寝つづけた。
 翌29日は車で出勤した。天気予報も雨と伝えていたし,雲が厚かったのだけれど,たとえ快晴でも車にするしかなかった。自転車で行っても間に合う時刻には起きられなかったから。
 3日連続で自転車通勤できたのは大きな進歩だけれど,目下のところはこのあたりがぼくの体力の限界ということだ。

● ではあるのだけれど,天気が良ければ毎日自転車で通勤できるようになりたい。そんなに日数を要せずになれるとも思っている。希望的観測をこめて。

2010年7月27日火曜日

2010.07.27 いくつかの心配事

● 27日も自転車通勤。ついこの間まで2日連続の自転車通勤は無理だと思っていた。15日,16日に初めて2日連続の自転車通勤をしたけれど,16日は往路のみだった。キチンとしたレンチャンは初めてのことだ。
 27日の朝,体に訊いてみたら,どうやら行けそうだと答えてきた。なら,行きましょう。体が自転車になれてきて,梅雨が明けて晴れの日が続くようになった。自転車通勤をどんどんしなさいと神様がおっしゃっているのだろう。

● 帰りの夕立が困るっちゃ困るんだけど(26日はちょっと降られた。体は濡れても困らないが,荷物は濡れちゃ困る。チャック付きのビニール袋に入れて,それをさらにビニール袋に入れてリュックに収納し,リュックを黒いゴミ袋に入れて荷台に括りつけている),雨より雷が困る。
 まだ実地に体験はしていないんだけれども,雷が近いところに来たら,自転車から離れて橋の下にでも避難するしかないでしょうね。

● いずれ,もっと厄介なヤツが襲ってくる。冬場の北風だ。復路は北に進路を取る。しかも,上流側に向かっているわけで,そこに北風に襲われたら,相当に難儀をしそうだ。川の堤防だから風を遮るものは何もないしね。
 ま,そのときのことはそのときになってから考えることにして,今は走れるときに走っておこうと思う。

● 復路は途中で暗くなる。後尾灯を点滅させながら車道を飛ばしていく自転車があった。自転車は車道の左側を通行することになっているけれど,あのくらいのスピードがあってこその車道通行だなぁと思わされた。
 ぼくは一般道では自転車通行可の歩道を走っている。歩行者にはまず出会わないから余裕で走れているのだけれど,ぼくの自転車のスピードで車道を走ってはいけない,歩道が相当だと思わないわけにはいかなかった。

2010年7月26日月曜日

2010.07.26 自転車はお金がかからないのがいい

● 26日も自転車通勤。自宅から真岡までを長距離とは感じなくなっている。脚力がアップして所要時間が短縮したということではない(と思う)
 せいぜい数分の違いがでているだけだ。それも,走行速度が上がったからかどうかはわからない。一般道と交差するたびに一時停止するのだが,車が通りすぎるのをかなり待たなければならないこともあるし,パッと通れることもある。その違いかもしれない。復路は休憩時間が減った分,所要時間が減ったけれど。

● 体重がぜんぜん減っていないことがショックだった。が,今はどうでもいいと思えている。とりあえずは自転車にはまることができたからだろう。
 メタボ撃退のための最後の手段と思って初めて自転車通勤だけど,それ自体の楽しさを体感できるようになった。それ自体を楽しんでいるんだから,その結果が体重減に至るか至らないかはどっちでもいいかな,と。

● 1日4時間はジムに行っているようなものだ(自転車通勤を毎日しているわけではないんだけど)。しかも,無料である。初期投資は必要だけど,その後の維持費は要らない。それでいて,
ジムで自転車を漕ぐよりはずっと楽しい(と思う)。
 わざわざジムに行く時間を捻出するのは容易じゃないだろう。っていうか,そんなことをする気にはとてもならない。
 でも,通勤はしないわけにいかない。しないわけにはいかないことをしながらジム効果が出るんだから,これはぜひ皆さんにもお勧めしたいね。
 自分自身,こうまで長く自転車ブランク期間を作ってしまったことを後悔してますよ。もったいないことをしてきたなぁ,と。こういうのは,でも仕方がないことですけどね。

● ここでも無料主義だ。大事なことほどお金をかけないのがいい。その方が制約が少なくなる。続けやすくなる。楽しみながら身につく可能性が高まる。

2010年7月24日土曜日

2010.07.24 五行川上流端までの小さな旅

● 24日は五行川のサイクリングロードの起点から上流側に向かって走ってみた。五行川サイクリングロードは一切行橋を起点に小貝川と合流する下館まで続いているのだが,一切行橋から上流の堤防は舗装されていない。しばらくはかまわず走ってみた。
 中学生の頃は舗装されていない道路が方々にあった。平坦な砂利道を友人と押して歩いたことがあった。そんなことが思いだされてくる。が,パンクが怖いからね,堤防を離れて一般道(農道ですね)を走ることにする。しばらく走ってから五行川に戻って堤防の状態を確認する。それを繰り返す。


一切行橋の先はこんな感じ

● 途中からは何とか走れる状態になった。キリンビールを過ぎてしばらくは立派な舗装になる。その先は防塵程度の簡易舗装になる。
 氏家の菅又病院が見えてくる。五行川のほとりには真岡の芳賀日赤病院があるが,その上流にこの菅又病院,そのまた先に黒須病院がある。

● 黒須病院からさらに遡ると,五行川は川から水路に姿を変える。市街地を流れるので,それを忠実に追うのは不可能だ。つかず離れず一般道を走っていく。
 4号線を渡ると,市街地から田んぼに変わる。五行川は用水堀に姿を変える。その先には東北本線の線路が行く手を遮る。五行川は盛土の下を潜っている。

● が,人間が線路を渡るにはここから大きく迂回しなければならない。線路を渡れば,五行川の水源地はすぐそこだ。氏家の長久保,押上小学校のすぐそばにここが水源地との立て札が立っている。
 その昔はこの辺は森林地帯だったらしい。どんどん木が切られ,水源が枯れ,今は昔の面影はなくなったとある。はるかな昔は鬼怒川の流れがこっち側だったらしい。現在の氏家から高根沢,芳賀の田んぼは川の底だったわけだ。


このすぐ先が上流端

● 立て札の説明によると,ここから小貝川との合流点までは55キロとある。下館まで往復したときは間違いなく片道50キロは走ったつもりでいたんだけれども,ぼくの距離感はおかしいのかもしれない。説明のとおりだとすると,40キロもなかったかもしれない。

2010年7月23日金曜日

2010.07.23 宇都宮まで走ってみる

● 23日(金)は一日,出張だった。出張先は宇都宮。自転車で行ってやろうと思った。
 基本的に,車の走らない道路を選びたいと思っている。その方が快適だからだ。が,同時に自転車でどこへでも行きたいという気持ちもある。

● よく冗談でいうのだけど,息子のこともあるので(詳細は略)70歳までは働く心づもりはある(職場があるかどうかが問題だが)。しかし,70歳を過ぎたら好きなようにやらせてもらおうと思っている。
 若いときにやりたくてもできなかったことを次々にやっていきたい。ひとつは,バックパックを担いでの貧乏旅行。地球のアチコチをお金を使わないで歩いてみたい。
 ひとつは,四国遍路。ひとつは,自転車での日本一周なり日本縦断をしたい。旅館やホテルに泊まってもいいけれど,自転車にテントを結わえて野宿の旅もいい。
 いい年こいてって後ろ指をさされるようなことを次々にやっていきたい。若い頃にできなかったことをやるのだから,当然,年甲斐もないことになるはずなのだ。

● その予行演習は定年を待たないでさっさと始めないといけないと思っているのだけれども,ものには順序がある。まずは都会の道路も怖がらずに走れるようにならないといけない。その第一歩が宇都宮行きだ。
 って,大げさすぎますけどね。

● というわけで,4号線から環状線に入って上戸祭に出る最も一般的なコースを辿ってみた。4号線も環状線も自転車通行可の歩道が両側に整備されている。歩行者などほとんど歩いていない。自転車の方がずっと多い。それゆえ車に煽られることもなく,快適に走行できた。
 鬼怒川の橋を自転車で走るのはちょっと怖い。高さがね。だいぶ高いので欄干を超えて落ちたらどうしようっていう不安がよぎるのだ。サドルが高いせいもあると思う。
 車の排気ガスは我慢するしかない。夜中に酔って4号線を歩いたことは何度もあるのだが,夜中よりは朝の方がマシという結論。夜中の方が排気ガスがこもる感じがする。
 にしても,自転車は速い。もちろん,歩きと比べているわけだが,家を出て30分もたたないのに,岡本駅下を走っているのだから。

● 環状線に入って,関堀を過ぎると長い登りになる。勾配が緩いのでさほどきつくはないのだけど,距離がね。高校生や中学生の自転車をけっこう見かけるようになる。もう夏休みに入っているのではなかったか。
 中央女子校の生徒も一生懸命にペダルを漕いでいる。彼女たちにとっては毎日のことなのだ。

● 環状線を出て,日光街道を横切り,家を出てちょうど1時間後に出張先の駐輪場に滑りこんだ。真岡に比べると宇都宮は近い。トイレで着替えて,受付が始まるまでロビーで本を読んで過ごした。

● 帰りは,御幸ヶ原から北に折れて岡本経由で帰ってきた。
 ともあれ,この日は都市の道路を走るという田舎者には苦手なコースを初体験した。別に問題ないじゃんというのが一応の結論。
 この程度で問題を感じていたら,まずすぎるんだろうけど。あと,あれだね,自転車は車道の左端を走ることになっているっていうんだけど,これはなかなか難しいねぇ。道路事情にもよるけどさ。

2010年7月21日水曜日

2010.07.21 無理はすまい

● 20日も自転車で通勤するつもりだった。5時半に目が醒めたのだけど,あと30分は寝ようとしたところが,1時間30分も寝てしまって,結局は車で通勤することになった。今日は自転車はやめてくれと体が悲鳴をあげていたのだと思う。
 自転車で通勤することじたい,年寄りの冷や水的なところがあるとわかっているから,ストイックに頑張るつもりはない。無理はすまいと思っている。

● 21日は自転車通勤。梅雨が明けたら,連日の猛暑。寝苦しいこともあるんだけど,昨夜は0時を過ぎた。起きたのは5時半。睡眠時間は5時間を切っていると思う。
 けれども,走行に支障をきたすことはなく,順調に事務所に到着。この日は所要95分で今までの最短となった。

● 復路も問題なし。2時間を切ることはなかったけれど,20時前に帰宅できた。特に,復路の後半を走れるスタミナがついてきたことを実感している。
 まだまだ遅いんだけど,スピードをあげて走りたいとはまったく思っていない。楽しくて結果的に継続できるのが一番いい。

2010年7月19日月曜日

2010.07.19 大田原の琵琶池まで走ってみた

● 19日は初めて五行川サイクリングロードに関わらないところを走ってみた。
 まず,南那須の田野倉に出た。主要道ではなくたんぼ道をなぞった。なぜかといえば,車が少ないからだ。自転車で快適に走るための第一条件はこれだと思う。多少遠回りになろうが,車の少ない道路を選ぶこと。危険を少なくすることが快適さの8割を占めると思う。慎重なのだ。
 ここで初めてアップダウンを経験することになった。仁井田を過ぎると最初の峠越えにかかる。峠の頂上が高根沢と南那須の境になる。勾配は決してきつくはない。が,けっこう堪える。車だったら何も感じることなくスーッと通り過ぎるところだけれども,自転車だとできれば避けたい障害物だ。降りて押すのはいくらなんでも恥ずかしい。スタートしたばかりで力に余裕がある。ともかく登り切った。

● ここを登り切ると,大金まで下りが続く。ということは復路はダラダラした登りが延々と続くということでもある。今から帰りが思いやられるが,ともかく下りは楽でいい。登りのきつさに耐えたご褒美だ。
 田野倉のセブンイレブンで最初の休憩。オレンジジュースと水を買って2つを一度に飲む。日射しはヘルメットが防いでくれる。あとは水分を惜しみなく補給すること。
 荒川の橋を渡る。長く続いた下りはこれで終わり,ここから登りだ。勾配のきつさは仁井田の峠越えの比ではない。体力が哀れなほどにしぼんでしまっているのを実感。

● バブルの頃,南那須出身の事業家がホテル経営で名を売った。主には日光と地元で色々やっていたようだ。その残骸が残っている。
 まず,高層マンション。なぜ南那須に高層マンションなのかわからないけれども,都会に住む人が休日にやって来て自然に親しむというプチ別荘を想定したのかもしれない。まったくの廃屋ではなく数ヶ所に布団が乾してあった。住んでいる人がいる。買った人が賃貸に出しているらしい。
 本物の船がドカンと置かれている。鉄でできた大きな船だ。横浜に停泊している氷川丸と同じようにレストランとして使うつもりだったのだろう。しかし,この場所でそれが成り立つと思うのは,正気の沙汰ではない。当時は,こういう発想がリアルに通用すると思わせる雰囲気があったのだと思うが,それにしてもという気がする。この船はよく言えばオブジェとして,悪くいえば巨大な粗大ゴミとして,今もそこにある。

● もうひとつ,アイスランド迎賓館なる建物があって,日本アイスランド協会事務局の看板が出ている。もちろん,使われている形跡はない。サンクチュアリ教会,いかんべ記念館なんかもある。結婚式場でもあったらしい。
 もともと,「みなみなす緑の広場」として南那須町が噛んで整備したもののようだ。今は無惨に残骸を晒しているが,再びこれらの施設が日の目を見ることがあるとは思えない。自然破壊のあとだけが残ってしまった。

● そんな寄り道もして,また登りにかかった。わずか数百メートルしかないんだけれど,二度休んでしまった。アップダウンの対処法には課題を残した。といって,もっと軽くて性能のいい自転車に買い換えるか,脚力は当然として自転車を惹きつけるための上腕筋と背筋を鍛えなきゃいけないってことになるんだと思う。
 どちらもすぐには無理だけど,とにかく経験を重ねて慣れることが一番だと思っている。この程度の登りは苦もなく登れるようじゃないと。
 次は下り。江川に出た。その堤防を自転車で辿る。けれど,途中までだ。

● 今回考えているのは,熊田地内で江川と合流する岩川を上流端まで辿ってみようってことだ。大字名でいうと,志鳥を通って,喜連川の一本木,穂積を辿ることになる。方角でいうと,ほぼ北西に向かって走ることになる。
 しばらくは,岩川の堤防を走ることができた。途中から舗装がきれるので,一般道に出て,岩川に沿って走る。一般道でも車が少ない。何よりありがたい。
 岩川の一帯は,川をはさんで東西にわずかな平地がある。それが南北に長く続いている。

● 上流に向かっているのだから上り勾配のはずだが,体感としては平坦だ。幹線道路も岩川に沿っているが(沿うしかない地形だ),細いたんぼ道に入って,さらに岩川に近づいてみる。穂積に来ると,川というより用水路の一本に過ぎなくなる。
 そろそろ水源に近いはずだ。左側に小高い丘が見えてきた。「上郷の清流を守る会」の立て札もあった。あの上に池があって,そこが源流なのかもしれない。苦労して石だらけの道を登ってみたが,荒れた草地が広がっているだけだった。
 いったん降りて,さらに北西に道路を辿る。まもなく琵琶池が見えてきた。土地改良で造成した人口の池らしい。
 間違いなくここが岩川の源だ。目的は達した。ほとんど(まったく)意味のない目的ではある。

● 復路は,途中から,鹿子畑に向かう山道に入った。同じ道を辿って帰るのも芸がないと思ってのことだけれども,道を変えることに芸があるのかどうかはわからない。
 途中,トラックが停まって道をふさいでいたが,自転車が通り抜けられるだけの余裕はあった。停めた男が大丈夫かという顔でこちらを見ていたので,左手でOKサインを作って,心配するなと合図を送った。やつも同じサインを作ってニヤッとした(ように思えた)。
 広い道と交差したので,そこを左に折れた。しばらく走ると293号線と合流する。軍沢口というバス停があった。293号線は川にたとえれば大河だった。ひっきりなしに車が通る。都会の道路に比べればノンビリしたものなのだが,川の堤防や山道を走ってきた自転車乗りにしてみれば,車の大動脈に見えたのだ。
 こんな道路を走るのはイヤである。幸い,すぐに川井口に着き,静かな県道(烏山矢板線)に入ることができた。

● 琵琶池まで気づかぬうちにけっこう高度を稼いでいたようだ。降ってしまってはせっかく稼いだ高度を消費してしまうことになる。途中で山道に入ったことで,登りをひとつ省略できたようだ。
 しばらく県道を走ってから,右に曲がってたんぼ道に入る。江川を渡る。このあたりの堤防は歩くことはできても自転車で走るには向いていない(舗装されていない)。
 江川を渡ってそのまま行けば山にぶつかるが,山の裾野に沿って江川と並行する生活道路がある。そこを走った。理由はここでも車が少ないこと。

● ここからまた山越えをしないといけない。少しでも登りを少なくしたい。自転車にとっては,これが切実だ。往路とは違う山道になるが,こっちの方がたぶん登りが少なくなるのだ。
 しかし。その登りを自転車に乗ったまま登り切る体力はぼくにはなかった。ヘルメットをつけてドロップハンドルの自転車に乗っているのに,この程度の登りを登れないとは情けない。が,背に腹は代えられないではないか。自転車を押して歩きましたとも。誰にも遇わなかったのは幸いだった。
 あとは下り。往路で通った荒川橋まで下るだけ。覚悟していたとおり,荒川橋からは長い長いダラダラ登りを体験した。

● この日はともかく暑かった。途中,木陰で休憩した。自販機で水や清涼飲料水を買ったのは数知れず。特に後半はちょっと走っただけで水が欲しくなった。
 何とか鴻野山に戻ってきた。ここからの峠を越えれば,あとは平坦な道が続く。

● しかし,ここでまた寄り道をしたくなった。それだけの余力は残っていたということですね。ここからしばらく走ったところに長者ヶ平遺跡があるのだ。車で行こうとして行けなかった記憶があって(逆に一度は見たような記憶もある),この際,ケリをつけておこうと思った。
 遺跡の進入路に気づかずに行きすぎて戻ったりしながらも,めざす長者ヶ平遺跡に辿りつけた。登りを味わってね。ここは自転車から降りないで頑張ったんだけど,途中で吐きそうになった。
 遺跡といっても何も残っていない。水田とトウモロコシ畑が広がるだけだ。この遺跡には東山道跡も発掘されている。古代の遺跡跡はたいていつまらぬ場所になっているものだけれど,ここもまた当時の華やぎを想像するのは難しい。

● ともかく,これで気がすんだ。この種の寄り道にも自転車は便利だ。まだ,始めたばかりでよくわからないけれど,自転車じゃないといけない場所っていうのがありそうだ。車&ウォークではダメで,自転車じゃないと入れない(あるいは入る気にならない)場所がある。

● 高根沢に戻ってきた。花岡で川を渡った。往路では気づかなかったけれど,すっかり馴染みになった五行川である。この辺はサイクリングロードにはなっていないんだけれど,堤防は簡易舗装されていて,自転車で走ることができる。
 五行川サイクリングロードは高根沢と芳賀の境にある一切行橋のたもとから始まる。そこから上流側は自転車で走るのは諦めざるを得ない状況なんだけど,さらに上流になると舗装されている区間があるのですね。堤防が農業用道路になっているのだろうね。
 下流側は下館まで走っているので,もう気がすんでいるけど,上流側はまだ未知の世界だ。次は五行川の上流を上流端まで走ってみようと思った。

● とりあえず,下流に向かって走れるところまで走ってみよう。
 五行川はキリンビール栃木工場の敷地の脇を流れる。線路のレールが向上の横っ腹から仁井田駅の方向に延びている。製品を出荷するためにキリン側の負担で敷設したのだろうが,ほとんど使われることなく(トラックで輸送している)朽ちてしまっている。わざわざ仁井田駅まで引っ張らなくても,烏山線は工場のすぐそばを走っているのだけどね。
 キリンの環境活動や地域貢献は今では広く知られるところになっているけれど,時代はどんどん進んで,今年の10月に栃木工場は消滅することになった。

● 堤防自体が舗装されている区間はそんなに長くはなかった。すぐに一般道を走らなければならなくなった。今日はこれくらいにしておこう。できれば,来週また走ってみたい。

● 今回のサイクリングで感じたことは,アップダウンに対して虚弱だってことに尽きる。この虚弱を克服するには,アップダウンを避けないで何度も体験するしかない。自転車にアップダウンは付きものだから,登りに弱いんじゃ自転車での行動範囲が大きく制限されてしまう。

● 前回の下館行きでかなり日焼けし,今回の琵琶池サイクリングで真っ黒になった。事務所ではぼくが一番黒くて,スポーツマン然としている。運動音痴を自認しているので,スポーツマン然としていては申しわけないのだけれども,そういうことになっている。
 っていうか,紫外線対策は特に考えていないんだけれども,ヨメなんかは心配しているようだ。洋服1枚でぜんぜん違う。長袖のTシャツを着れば顔だけですむことになるのだけれど,あまり心配しても仕方がない。

2010年7月18日日曜日

2010.07.18 体重が減っていなかったことが,気持ちをはやらせる

● 乗れない日が続くと,ちょっとヤキモキする。せっかく体が自転車に慣れたのに,ブランクができては元に戻ってしまうのではないかと不安だ。
 なので,15日は煙る程度の雨が降っていたんだけれども,自転車で出勤した。自転車体質は何とか維持できていた。百分弱で事務所に着いた。天気も何とかもってくれた。やっぱり気持ちがいい。はやく梅雨が明けてくれないかなと思っている。毎日,自転車通勤できるほどの体力があるかどうか試してみたい。今はなくても,そこまでの自転車体質を作りあげたい。

● 復路も問題なかった。家に辿りついたときには相当に疲れているのだけど,以前のように疲労困憊と言ってしまってはちょっと言い過ぎという感じ。予報では夕方から雨だったのだけれども,実際には晴れ間も見えた。ラッキーだった。
 
● でも,体は正直で,自転車通勤の日は,夕食を食べて横になるとそのまま寝入ってしまう。結局,歯も磨かないで寝ちゃうことになる。15日も21時に寝てしまった。

● 翌16日も自転車出勤。2日連続は初めてのこと。あまり無理をしても仕方がないと思うけれど,体重が全然減っていなかったことが,気持ちをはやらせているかもしれない。
 さすがに前日よりきつさを感じた。特に腰が痛くなるのが早かったように思う。が,ちょうど百分で事務所に到着できた。
 この日は事務所の宴会(暑気払い)があったので,自転車は置いてきた。

● 18日(日)に電車&バスで真岡に向かい,自転車で帰宅。120分しかかからなかった。片道だけだと,真岡起点でも休憩が短くですむ。距離は片道30キロ超あると思っていたのだが(休憩なしで100分もかかるので),どうもそれほどはないかもしれない。ぼくの自転車の平均速度はぼくが思っているほどには速くないのかもしれない。

● 小動物がロードを横切るのを何度か目撃した。リスとしか思えないのもいた。真岡のリス村から逃げだして野生化したリスもいるのじゃあるまいか。それとトカゲも多く見かけるようになった。昔,ぼくの田舎ではシマヘビと呼んでいた。

2010年7月14日水曜日

2010.07.14 けっこうショックだったこと

● 14日(水)の帰りに久しぶりに「元気あっぷむら」に寄った。何をしに行ったのかといえば,温泉に浸かりに行ったんじゃなくて,体重を計りにいったのだ。サウナで汗を絞ったあとにどの程度の体重になっているか。楽しみだった。自転車効果でだいぶ脂肪が落ちているのじゃないかと思っていたからね。
 ところが。何ということだ。汗を絞ったあとで72キロもあったのだ。これでは今年年頭の自己最高値(最悪値)のままではないか。

● 何がまずかったのか。思いあたるのは以下のようなことだ。
 まずは,復路で痛いほどの空腹感に襲われることがあったので,昼飯を食べるようになった。職場の近くにスーパーがあるので,昼飯はそのスーパーで弁当を買うのだけれども,最近ではおにぎりにしている。
 旨いんだ,これが。自ずと定番が決まってきて,ウナギの蒲焼きをはさんだやつ,唐辛子味噌,鮭の3個を買って頬ばるようになった。コンビニのおにぎりより大きくて,まぁ旨いこと。
 これがそっくり脂肪になったのかもしれない。しかも,11日からずっと雨で通勤で自転車を使う機会がなかった。それなのに,おにぎりを頬ばるオヤジは続いていたから。

● 自転車であれほどの運動をするのだから,もう何を食べても太ることはないと油断した。昼のみならず朝も炭水化物を取りすぎたかも。実際,食べた方がいいんだと思うのだが,度を過ごしちゃいけませんよね。
 ともあれ,翌日から昼食のおにぎりは2個に減らすことにした。そういうことを心がけたいと思います。

2010年7月10日土曜日

2010.07.10 野元川のサイクリングロードを走ってみる

● 10日(土)の午後は芳賀町で五行川と合流する野元川に設置されたサイクリングロードを走ってみた。合流点から上流に向かって走りだす。サイクリングロードの距離は短い。4キロ程度だろうか。
 野元川は車が走っている一般道路に近い。その一般道が間近に見える。ということは,現在地がわかるということだ。


上流側から合流点を見る。右が野元川

● サイクリングロードが切れてからは,堤防に近い一般道を北上した。初めて走る道。地元や準地元に限っても知らない道がたくさんある。一度,町内地図をじっくり眺めて,走ってみたい道路をチェックしよう。

● 数年前,矢板に端を発し,喜連川,南那須,烏山を流れて荒川と合流し,那珂川に注ぐ江川っていう川を,下流から上流端に向けて2日がかりで堤防を歩いたことがあった。そのときの記憶では,かなりの部分が舗装されていたと思う。同じ道を今度は自転車で走ってみるのもいいなと思う。
 通勤以外にも,自転車の楽しみ方は色々とありそうだ。しかし,メインは通勤。通勤をエンタテインメントに変え,そのエンタテインメントで脂肪を除去すること。こんな素敵なことはない。

2010年7月8日木曜日

2010.07.08 一転,いい感じになってきたぞ

● 5回目の自転車出勤は8日(木)。自転車に乗る体になってきているのかもしれない。この日は朝の所要時間が100分を切った。すこぶる快調に走ることができた。1日はかなりきつくて,「道の駅はが」まで車で来て,そこから自転車にしようかと考えてしまったのだが,それがはるかな昔のことのような気がする。
 帰りも楽だった。初めて20時前に帰宅できた。速く走ろうがゆっくり走ろうが,走っている分にはさほどの時間差は出ない。所要時間が延びるのは休憩するからだ。この日も「道の駅はが」で休んだことは休んだものの,休む時間が短くてすんだ。その後も,二度の休憩を入れたが,短時間で走りだすことができた。

● 自信ができてきた。脂肪も落ち始めている。あえて体重計には乗っていないけれども,指で摘める脇腹の脂肪の厚さが違ってきている。ヨメにも顔がシャープになってきたと言われた。つまりは順調である。
 昼食もしっかり食べるようになっている。それでも痩せる。食べたいときに食べたいものを食べたいだけ食べても太らない。安らかに食べることができる。これって,かなりな幸福感をもたらしますな。

2010年7月6日火曜日

2010.07.06 下館行きの効果,現れず

● 5日も自転車で出勤した。天気予報では,6日・7日は午後から雨になる。天気が持つのは5日だけだ。それに昨日の下館行きの成果を試してみたい。高根沢から真岡までが近く感じられるようになっているかもしれないではないか。
 しかし。確実に疲れが溜まっていた。疲れているのによく眠れないこともあって,正直,5日はきつかった。110分かかって事務所に着いた。

● 復路はもっときつくて,「道の駅はが」に着く前に二度の小休止。「道の駅はが」では大休止。その後も二度休憩した。乗って走っていれば多少速かろうが遅かろうが,さほど時間は変わらない。所要時間を決めるのは休憩の有無とその長さだ。
 帰宅したのは8時を大きく過ぎていた。3時間かかったことになる。平均時速10キロ。歩きの2倍。いかがなものだろうねぇ。

「道の駅はが」

● ペダルを漕ぎながら鋭角的な空腹を感じる瞬間がある。痛いほどの空腹感だ。自転車通勤前は朝も昼も食事抜きなんてことを平気でやっていた。当然,夕方には空腹を感じるのだが,そんなものはまだまだ甘かった。何せ,ペダルを漕ぎながら意識が遠のいていくのではないかと思うことがあったからねぇ。
 今は昼を抜くなんて考えられない。この日もちゃんと食べてはいたのだけれども,時折襲ってくる空腹感がけっこう鋭くて,中学生のとき,部活の後なんかにこんな思いを味わったかなと考えた。

● 「道の駅はが」で不二家ネクターを飲もう。そう思うことが励みになった。ニンジンをぶら下げられた馬よろしく,目先にご褒美を散らつかせてやるとけっこう頑張れるのだった。
 ビジネス書や自己啓発書などにこうしたことが書かれていると,ケッと思ったものだけど。ちょっと自分を追いこんでやると,こうした原始的な手法が有効性を帯びるんですな。

● こういうことだと,そもそも正確な距離はどれだけなのか,どの程度のスピードが出ているのか,そういう基本的なことを知りたくなる。スピードメーター(サイクル・コンピュータというらしい)を付けてみようかと思う。ネットオークションで千円以下で買える。
 スピードメーターで計れる客観的な数字などどうでもよくて,要は体感がすべてだと思うのだけれど,体感と実際のズレを知りたくもある。
 リュックを背負わなくてもいいような措置も速やかにとりたい。

● 自転車に乗るうえで気をつけないといけないことがひとつだけある。見ている方向に進んじゃうってこと。路肩を走っていて,これ以上左に寄ったら危ないと思ってその左側を見ていると,危ないはずの左側に行ってしまうんですね。
 自転車が届いて初めて漕ぎだしたそのときに,右手をグローブにしてしまう事故をやった。が,その後は大丈夫。今では人馬一体ならぬ人車一体。車との接触や衝突には気をつけなければならないが,操作ミスによる事故は起こさなくてすむと思う。
 と油断してると,痛い目に遇うのかもしれないけどね。

2010年7月5日月曜日

2010.07.05 わずかな経験しかないけれど,とりあえずの感想

● 下館っていうと,以前は小山に出て,小山から水戸線に乗り換えて行くところだった。それが高根沢からほぼまっすぐに南下すれば行けるのだと体感できた。
 自転車の効用はこういうところにもあるのだろう。鉄道やバス路線に縛られないで最短距離の移動が可能になる。そこでまた見たことのない風景を目にすることもできる。

● これって,車でもできることだ。が,(少なくともぼくの場合はだが)車ではここまで自分と一体化した感覚は得られない。身軽さという点で大きく違うのだ。1トンの重量がある車と10キロの自転車では物理的な重さ,大きさもさることながら,自分の肉体の延長として捉えられる度合いが違う。自転車は肉体の延長なのだ。自分の能力(この場合は移動能力)を拡張する道具なのだ。
 が,車はどうしても自分との間に距離ができる。運転するのは自分でも走らせているのは自分じゃない。車はその重さと大きさゆえに道路を選ぶ。自転車のように細道をスイスイ入っていくことはできない。こういうところに不自由感がある。

● ぼくが乗ってる自転車はヤフオクで買った安物なのだが,たぶんミニベロというジャンルに入る自転車だ。フランス語で自転車をVELOというらしく,ミニベロとは小さい自転車のことを指す。何が小さいのかというと,タイヤの直径だ。小径車ともいう。
 昔,ミニサイクルと呼ばれていた自転車があったけれど,要はそれですね。ぼくのは,それに変速機とドロップハンドルがついている。

● 「可愛いらしい自転車ですから,ちょっとしたお買い物に使って頂いたり,お散歩がてらのサイクリングに良いと思います。タイヤ径が小さい為,漕ぎ出しが軽く,交差点,信号などで頻繁に停止,走行を繰り返す事の多い街中の走行に向いています。10万円以下の低価格帯の物はコンビニに行く時や会社に置いておいて,お昼の買出しなどにピッタリです。また,上級モデルになりますとクロスバイクに近い走りが出来るような物などもあります。タイヤ径が小さい為に重心が低く抑えられますから安定感は良く,地面への足つき性も優れます」という解説がネットにあった。
 つまりですね,長距離を走るための自転車ではないらしいんですね。最初から選択を誤ったということです。こんな初歩的なことも知らないで,自転車通勤を始めちゃったんだよねぇ。買い換えたくなってくるんだけど,もちろん,そんなことはねぇ。

● いくつか自転車通勤を主題にしたエッセイ集のようなものを読んでみた。自転車通勤は15キロ,せいぜい20キロまで,時間にして1時間,というのが妥当なところのようなんですな。ぼくのように朝110分,帰りは150分というのはちょっと無理があるっていうか。
 少なくとも,毎日は厳しいなと思っていたのだけど,それはぼくの年齢の然らしめるところでも体力の問題でもなく,大方そういうものなのだ,と。
 まして,ミニベロだ。上記のエッセイ集の著者たちはクロスバイクやロードバイクに乗っている。選ぶ自転車もそうしたものであるべきである,と。
 ただ,アップダウンは全くといっていいほどないのが救い。たんに距離が長いだけだから。

● 自転車通勤を始めたそもそもの目的,つまりメタボ撃退,はどうなっているかというと,体重など計っていないのだけれど,たぶん,充分な効果があると思う。
 先に「自転車通勤をした日には,体重が3キロくらい減っているのじゃないだろうか」と書いたけれども,本当に復路は疲労困憊する。ここまでやって脂肪が減らないはずがない。自転車通勤の前は下手すると,朝も昼も食べないなんてことがあったけれど,今は朝か昼は必ず食べる。そうじゃないと死ぬ。でも,食べる以上にエネルギーを燃焼しているはずだ。

● かりに車で20キロ移動するのにガソリン1リットルを要するとして,同じ距離を自転車で移動すれば,自分がガソリンの代わりになっているわけだから,1リットル分の脂肪が消費されたと考えてみる。
 もちろん,車と自転車では重量が全然違う。それほどの燃費を要するはずはない。あくまでイメージとしてだけれど,そんなふうに考えてペダルを漕いでいると,けっこう疲労を紛らすことができる(と考えたい)

2010年7月4日日曜日

2010.07.04 五行川サイクリングロードの終点まで行ってみた

● 4日の日曜日。正午前にわが愛車に跨って外に漕ぎだした。五行川サイクリングロードの起点は芳賀町にある。五行川にかかる一切行橋のたもとから,左岸の堤防が簡易舗装されている。ここからサイクリングロードは始まるのだ。
 終点は下館になる。下館で五行川と小貝川が合流するのだけれども,この合流点が終点なのだろうと思う。で,その終点まで行ってみよう,と。

● ケータイと小銭入れ,玄関の鍵を半ズボンのポケットに入れて,サンダル履きで出かけた。自転車に乗るときはいつでもサンダルだ。もちろん,踵を押さえるヒモが付いている。
 雨にでも降られたら,防水機能のないぼくのケータイはおシャカになるかもしれないけれど,雨は降らないと勝手に決めた。

● 暑かったねぇ。初めて往路で「道の駅はが」で休憩した。朝から満足に食べていなかったので(コンビニおにぎり2個のみ),ここで栄養補給。
 自動販売機で不二家ネクターを2本。糖分補給にはこれが一番だと思っている。もちろん,ピーチですね(最近,マンゴーが出たはずだけど,とんと見かけないですな)。サントリーの「Gokuri」にもピーチがあるんだけれども,やっぱり昔からある不二家ネクターの甘みが何ともいい。
 人間の体は正直なもので,この程度のものでも糖分を補給してやると,エネルギーに変換されるのがわかる。人間の体って機械なのだと思った。

● 紫陽花が見頃になっているし,曼珠沙華をけっこう見かける。


● 大前神社を過ぎると,未走区間に入る。この辺を昼休みに散歩しながら,いつか休暇を取って,この下流を行けるところまで歩いてみたいと思っていた。どんな風景があるのだろうと思った。今回,その淡い願望を果たすことができる。
 芳賀日赤を右に見て(五行川は真岡,二宮では市街地の東を流れている。河岸段丘の上に街がある),北関東自動車道の下を潜ると,旧二宮町に入る。周囲は田んぼ。あとは調整池とポツンポツンと事業所が現れる。

● 二宮のどの辺を走っているのかわからなくなった頃,見覚えのある山門が見えてきた。長栄寺の山門である。残念ながら山門以外の伽藍は消滅してしまっている。
 桜並木がある。五行川さくら堤と名標が立っていた。


長栄寺山門
● 茨城県に入った。かつては下館市だったところが,合併後は筑西市となった。筑波の西だから筑西でいいんだろうけど,馴染むまでにはもう少し時間が必要なんでしょうね。
 途中からサイクリングロードに車が通るようになった。車が違法進入しているのではなく,サイクリングロードじゃなくなっているのだ。サイクリングロードの終点を過ぎていたのだろう。しかし,五行川の堤防ではある。
 さらに進むと,行き止まりの標識があって,もはや叢になってて,進むことはできない。小貝川との合流点には達していない。対面には市立中央図書館があった。

● 茨城県に入ってしばらくすると,川の名前が「ごんぎょうがわ」になる。勤行の字を充てる。
 とまれ,来てみたかったところに来た。来てみれば普通に普通なところだ。
 あとは帰るしかない。脳内でああでもあるかこうでもあるかと想像を逞しくしている方が,実際に来て見て知ってしまうよりずっと幸せだってことはない。来てみるべきだ。
 が,百聞は一見にしかず,百見は一想にしかず,というのもまた,一片の真理を含むかなと思った。


茨城県に入ると,五行川は勤行川と名を変える
● しばらく走ったところで,サイクリングロードの案内板を見た。下館側の起点は対岸の下館小学校の近くのようだ。せっかくだから,きちんと起点を確認しておきたいと思って,引き返してみた。ハッキリとはわからなかった。
 が,行き止まりの標識があったところのはるか手前だから,まちがいなくサイクリングロードの全線を走破したと思う。

● 案内板によれば,サイクリングロードの総延長は28キロとある。ちょうど,このあたりは百メートルごとにラインを引いてあり,それが千メートルまで続いている。その区間はあっという間に通り過ぎた。
 これを28回繰り返せば,一切行橋に至るのか。とても信じられない。

● 雨が降ってきた。幸い,すぐにあがったので,半ズボンのポケットに入れたケータイに影響はなかったのだが,しばらく北上すると,路面に水たまりができていた。わずかな距離の違いなのだけど,この辺はだいぶ降られたらしい。
 もし,引き返すことなく帰途についていたら,ケータイが壊れてしまったかもしれない。ラッキーだったといえるだろう。

● 二宮地内だったが,沿線に小振りな神社があった。復路,休憩をかねて立ち寄った。お社の縁側に腰をおろしてしばらく休んだ。日陰になる。
 何の実だろうか,はぜて次々に落ちてくる。地元の人たちが世話をしている社で,ぼくはよそ者ってことになるんだろうけど,けっこう居心地がいいのだった。神社の気が濃い。


● 真岡の市街地が見えてくるとホッとした。半分帰ってきたような気分になった。実際の距離は「下館~真岡」よりも,「真岡~高根沢」の方がずっと長いと思えるのだが。
 最初に目に入るのは芳賀日赤の赤い十字マークだ。何度かお世話になったビジネスホテル「エンドレス」の看板が見えてくる。反対側には市民会館や体育館の建物が近づいてくる。やれやれと思う。

● 帰りも「道の駅はが」で大休止。また不二家ネクターを飲んだ。
 辛いのは,サイクリングロードが終わって,一般道に出てからだ。ここから家までの道のりが長い。たいてい暗くなっているので,自動車がライトをつけているんだけれど,そのライトのためにこちらの視界が消されることがしばしばある。これ,ちょっと怖い。
 でも,黙々と走るしかない。この日も黙々と走ることができた。

● この下館行きで自転車に乗る体に大きく近づけたかもしれない。最後の走りがちゃんとできるようになってきたかなと思う。まだ4回目でしかないのだけれど。
 帰宅したのは20時をちょっと過ぎていた。たぶん百キロは走ったのだと思う(→サイクルコンピュータなどは付けていない。体感で百キロと思ったのだが,百キロまではなかったと思う)。ぼくの翼で百キロは飛ぶことができるって,何だか嬉しい。

● でも,歩いたって,1日50キロは何とかなるのじゃないかと思っている(クタクタになるだろうけど)。とすれば,最低でもその4倍,2百キロは移動できないと,自転車を活かしているとはいえない。でも,2百キロ走れるかというと,ちょっと自信がない。

● 下館まで走れたことで,通勤は可能との感触は得られた。真岡まで走ればいいんだから,楽勝じゃん,と。今回の下館行きがその意味では自信になった。
 リュックを背負っていなかったのも大きいかもしれない。

2010年7月1日木曜日

2010.07.01 限りある身の力試さん

● 7月1日,3度目の自転車出勤。6月28日以来,雨が続いたので,その間は車で出勤していた。でも,雨でなくても車になったろうなぁ。
 往路も110分かかった。朝は気分良く走れていたのだが,この日,初めて朝でも疲れてしまった。事務所に着いたときはホッとした。

● 背負ったリュックもずっしりと重く感じた。杜仲茶を入れたペットボトルを4本,リュックに詰めたのだが,こんなのは1日でやめることにした。重いだけだ。これなら途中の給水を我慢した方がましだ。
 自転車を走らせながら,距離が長すぎると思った。「道の駅はが」までは車で来て(自転車を積んで),「道の駅」に車を置いて自転車に乗り換えることにしようかとしきりに考えた。復路が思いやられた。


五行川サイクリングロード

● サドルがカクカク動くようになったので,昼休みに,Wさんが持っていた工具を借りて,きつく締めつけた。ぼくの工具だと(安物を買ったからだと思うのだが)あまり力が入らないのだ。乗っているうちにまたネジが緩んでしまうかもしれない。その都度,直さなければならないのかも。

● けれども,帰りは今までで一番調子が良かった。事務所から「道の駅はが」まで休憩なしで辿りつけたのは初めてのことだ。その後は二度ほど休憩したが,まぁまぁ上出来といえる。家に着いたときにはヘトヘトになっていることは変わらないけれど。
 サドルの問題が片づいたことが効いているかもしれない。それと,ゆっくり走ったこと。無理に飛ばしてもゆっくり漕いでも,所要時間はさほど変わらないのだった(もともと遅いから?)。

● これでリュックを背負わずにすむ算段ができればもっと楽になるだろう。とりあえず格好はどうでもいいので,自転車に取り付けるタイプのバッグをネットオークションで探そうと思っている。
 それにしても,だ。自転車通勤をした日には,体重が3キロくらい減っているのじゃないだろうか。