● 19日は初めて五行川サイクリングロードに関わらないところを走ってみた。
まず,南那須の田野倉に出た。主要道ではなくたんぼ道をなぞった。なぜかといえば,車が少ないからだ。自転車で快適に走るための第一条件はこれだと思う。多少遠回りになろうが,車の少ない道路を選ぶこと。危険を少なくすることが快適さの8割を占めると思う。慎重なのだ。
ここで初めてアップダウンを経験することになった。仁井田を過ぎると最初の峠越えにかかる。峠の頂上が高根沢と南那須の境になる。勾配は決してきつくはない。が,けっこう堪える。車だったら何も感じることなくスーッと通り過ぎるところだけれども,自転車だとできれば避けたい障害物だ。降りて押すのはいくらなんでも恥ずかしい。スタートしたばかりで力に余裕がある。ともかく登り切った。
● ここを登り切ると,大金まで下りが続く。ということは復路はダラダラした登りが延々と続くということでもある。今から帰りが思いやられるが,ともかく下りは楽でいい。登りのきつさに耐えたご褒美だ。
田野倉のセブンイレブンで最初の休憩。オレンジジュースと水を買って2つを一度に飲む。日射しはヘルメットが防いでくれる。あとは水分を惜しみなく補給すること。
荒川の橋を渡る。長く続いた下りはこれで終わり,ここから登りだ。勾配のきつさは仁井田の峠越えの比ではない。体力が哀れなほどにしぼんでしまっているのを実感。
● バブルの頃,南那須出身の事業家がホテル経営で名を売った。主には日光と地元で色々やっていたようだ。その残骸が残っている。
まず,高層マンション。なぜ南那須に高層マンションなのかわからないけれども,都会に住む人が休日にやって来て自然に親しむというプチ別荘を想定したのかもしれない。まったくの廃屋ではなく数ヶ所に布団が乾してあった。住んでいる人がいる。買った人が賃貸に出しているらしい。
本物の船がドカンと置かれている。鉄でできた大きな船だ。横浜に停泊している氷川丸と同じようにレストランとして使うつもりだったのだろう。しかし,この場所でそれが成り立つと思うのは,正気の沙汰ではない。当時は,こういう発想がリアルに通用すると思わせる雰囲気があったのだと思うが,それにしてもという気がする。この船はよく言えばオブジェとして,悪くいえば巨大な粗大ゴミとして,今もそこにある。
● もうひとつ,アイスランド迎賓館なる建物があって,日本アイスランド協会事務局の看板が出ている。もちろん,使われている形跡はない。サンクチュアリ教会,いかんべ記念館なんかもある。結婚式場でもあったらしい。
もともと,「みなみなす緑の広場」として南那須町が噛んで整備したもののようだ。今は無惨に残骸を晒しているが,再びこれらの施設が日の目を見ることがあるとは思えない。自然破壊のあとだけが残ってしまった。
● そんな寄り道もして,また登りにかかった。わずか数百メートルしかないんだけれど,二度休んでしまった。アップダウンの対処法には課題を残した。といって,もっと軽くて性能のいい自転車に買い換えるか,脚力は当然として自転車を惹きつけるための上腕筋と背筋を鍛えなきゃいけないってことになるんだと思う。
どちらもすぐには無理だけど,とにかく経験を重ねて慣れることが一番だと思っている。この程度の登りは苦もなく登れるようじゃないと。
次は下り。江川に出た。その堤防を自転車で辿る。けれど,途中までだ。
● 今回考えているのは,熊田地内で江川と合流する岩川を上流端まで辿ってみようってことだ。大字名でいうと,志鳥を通って,喜連川の一本木,穂積を辿ることになる。方角でいうと,ほぼ北西に向かって走ることになる。
しばらくは,岩川の堤防を走ることができた。途中から舗装がきれるので,一般道に出て,岩川に沿って走る。一般道でも車が少ない。何よりありがたい。
岩川の一帯は,川をはさんで東西にわずかな平地がある。それが南北に長く続いている。
● 上流に向かっているのだから上り勾配のはずだが,体感としては平坦だ。幹線道路も岩川に沿っているが(沿うしかない地形だ),細いたんぼ道に入って,さらに岩川に近づいてみる。穂積に来ると,川というより用水路の一本に過ぎなくなる。
そろそろ水源に近いはずだ。左側に小高い丘が見えてきた。「上郷の清流を守る会」の立て札もあった。あの上に池があって,そこが源流なのかもしれない。苦労して石だらけの道を登ってみたが,荒れた草地が広がっているだけだった。
いったん降りて,さらに北西に道路を辿る。まもなく琵琶池が見えてきた。土地改良で造成した人口の池らしい。
間違いなくここが岩川の源だ。目的は達した。ほとんど(まったく)意味のない目的ではある。
● 復路は,途中から,鹿子畑に向かう山道に入った。同じ道を辿って帰るのも芸がないと思ってのことだけれども,道を変えることに芸があるのかどうかはわからない。
途中,トラックが停まって道をふさいでいたが,自転車が通り抜けられるだけの余裕はあった。停めた男が大丈夫かという顔でこちらを見ていたので,左手でOKサインを作って,心配するなと合図を送った。やつも同じサインを作ってニヤッとした(ように思えた)。
広い道と交差したので,そこを左に折れた。しばらく走ると293号線と合流する。軍沢口というバス停があった。293号線は川にたとえれば大河だった。ひっきりなしに車が通る。都会の道路に比べればノンビリしたものなのだが,川の堤防や山道を走ってきた自転車乗りにしてみれば,車の大動脈に見えたのだ。
こんな道路を走るのはイヤである。幸い,すぐに川井口に着き,静かな県道(烏山矢板線)に入ることができた。
● 琵琶池まで気づかぬうちにけっこう高度を稼いでいたようだ。降ってしまってはせっかく稼いだ高度を消費してしまうことになる。途中で山道に入ったことで,登りをひとつ省略できたようだ。
しばらく県道を走ってから,右に曲がってたんぼ道に入る。江川を渡る。このあたりの堤防は歩くことはできても自転車で走るには向いていない(舗装されていない)。
江川を渡ってそのまま行けば山にぶつかるが,山の裾野に沿って江川と並行する生活道路がある。そこを走った。理由はここでも車が少ないこと。
● ここからまた山越えをしないといけない。少しでも登りを少なくしたい。自転車にとっては,これが切実だ。往路とは違う山道になるが,こっちの方がたぶん登りが少なくなるのだ。
しかし。その登りを自転車に乗ったまま登り切る体力はぼくにはなかった。ヘルメットをつけてドロップハンドルの自転車に乗っているのに,この程度の登りを登れないとは情けない。が,背に腹は代えられないではないか。自転車を押して歩きましたとも。誰にも遇わなかったのは幸いだった。
あとは下り。往路で通った荒川橋まで下るだけ。覚悟していたとおり,荒川橋からは長い長いダラダラ登りを体験した。
● この日はともかく暑かった。途中,木陰で休憩した。自販機で水や清涼飲料水を買ったのは数知れず。特に後半はちょっと走っただけで水が欲しくなった。
何とか鴻野山に戻ってきた。ここからの峠を越えれば,あとは平坦な道が続く。
● しかし,ここでまた寄り道をしたくなった。それだけの余力は残っていたということですね。ここからしばらく走ったところに長者ヶ平遺跡があるのだ。車で行こうとして行けなかった記憶があって(逆に一度は見たような記憶もある),この際,ケリをつけておこうと思った。
遺跡の進入路に気づかずに行きすぎて戻ったりしながらも,めざす長者ヶ平遺跡に辿りつけた。登りを味わってね。ここは自転車から降りないで頑張ったんだけど,途中で吐きそうになった。
遺跡といっても何も残っていない。水田とトウモロコシ畑が広がるだけだ。この遺跡には東山道跡も発掘されている。古代の遺跡跡はたいていつまらぬ場所になっているものだけれど,ここもまた当時の華やぎを想像するのは難しい。
● ともかく,これで気がすんだ。この種の寄り道にも自転車は便利だ。まだ,始めたばかりでよくわからないけれど,自転車じゃないといけない場所っていうのがありそうだ。車&ウォークではダメで,自転車じゃないと入れない(あるいは入る気にならない)場所がある。
● 高根沢に戻ってきた。花岡で川を渡った。往路では気づかなかったけれど,すっかり馴染みになった五行川である。この辺はサイクリングロードにはなっていないんだけれど,堤防は簡易舗装されていて,自転車で走ることができる。
五行川サイクリングロードは高根沢と芳賀の境にある一切行橋のたもとから始まる。そこから上流側は自転車で走るのは諦めざるを得ない状況なんだけど,さらに上流になると舗装されている区間があるのですね。堤防が農業用道路になっているのだろうね。
下流側は下館まで走っているので,もう気がすんでいるけど,上流側はまだ未知の世界だ。次は五行川の上流を上流端まで走ってみようと思った。
● とりあえず,下流に向かって走れるところまで走ってみよう。
五行川はキリンビール栃木工場の敷地の脇を流れる。線路のレールが向上の横っ腹から仁井田駅の方向に延びている。製品を出荷するためにキリン側の負担で敷設したのだろうが,ほとんど使われることなく(トラックで輸送している)朽ちてしまっている。わざわざ仁井田駅まで引っ張らなくても,烏山線は工場のすぐそばを走っているのだけどね。
キリンの環境活動や地域貢献は今では広く知られるところになっているけれど,時代はどんどん進んで,今年の10月に栃木工場は消滅することになった。
● 堤防自体が舗装されている区間はそんなに長くはなかった。すぐに一般道を走らなければならなくなった。今日はこれくらいにしておこう。できれば,来週また走ってみたい。
● 今回のサイクリングで感じたことは,アップダウンに対して虚弱だってことに尽きる。この虚弱を克服するには,アップダウンを避けないで何度も体験するしかない。自転車にアップダウンは付きものだから,登りに弱いんじゃ自転車での行動範囲が大きく制限されてしまう。
● 前回の下館行きでかなり日焼けし,今回の琵琶池サイクリングで真っ黒になった。事務所ではぼくが一番黒くて,スポーツマン然としている。運動音痴を自認しているので,スポーツマン然としていては申しわけないのだけれども,そういうことになっている。
っていうか,紫外線対策は特に考えていないんだけれども,ヨメなんかは心配しているようだ。洋服1枚でぜんぜん違う。長袖のTシャツを着れば顔だけですむことになるのだけれど,あまり心配しても仕方がない。