2015年10月29日木曜日

2015.10.29 自転車通勤に引っ付いたり離れたり

● 自転車通勤。雨が降っていればやめるし,風が強ければやめるし,気が乗らないときもやめている。乗ってしまえば何とかなるものだと今までの経験則でわかっているんだけど,乗るまでが億劫なことがある。
 通勤以外ではほとんど乗らないでいるのも,これと同じ理屈かもしれない。

● ただ,ぼくの場合,自転車の楽しさを本当に味わえているのかどうか。「走る,というより,超低空を飛行しているかのよう」とか,そういう感覚は味わったことがない。

● 自転車が悪いのかと思ったりする。3万円の自転車にしか乗ったことがないからなぁ。20万円の自転車なら,細かいところの感覚が刺激されるのか。

● BD-1で世界一周に出る人がいるように,お気に入りの自転車があって,これでなければと思っている人もいるのだ。
 3万円自転車ではさすがにそれを味わうのは難しいだろうけれども,そういう自転車に巡り会えたら,いつでもどこに行くのでも,その自転車を手放せないようになるのか。

● 自転車に付いたり離れたりしているのは,ぼくのケチ根性が元凶なのかもなぁ。ぼくは100円ノート(ダイスキン)と200円万年筆(Preppy)をずっと愛用しているんだけど,ダイスキンやPreppyに対するのと同じ愛着を,3万円自転車にも持てるようになるといいんだがなぁ。
 自転車となると,ノートやペンと同じようなわけにはいかないか。

● でも,たぶん,高価な自転車に乗っても同じなのじゃないかとも思う。ある閾値を超えたその先については,ぼくは反応しない(できない)のじゃないかと思う。
 で,その閾値がかなり低いところにあるのじゃないかと思う。

● これは自転車に対するだけにとどまらず,食に対しても,衣や住に対しても,そうなのじゃないかと思っている。
 足るを知るというときに,その“足る”の水準が低いのだ。これでいいやと思ってしまうのだ。それより上に対する興味や関心を持てないのだ。
 その上の部分に対する感応性能がひじょうに弱いか,まったくないのだ。

● この鈍感さをかつては自分の強みだと思っていたんだけど,今は弱みなのかなぁと思うこともある。
 だが,弱みだとわかったところで,その修正はいまさら困難だろう。


 Bicycle Navi 2015〔Autumn〕(ボイス・パブリケーション)の19ページにあった表現。